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2005年12月30日 (金)

読書感 日本名城伝:文春文庫

nihobbmeijyoudenn  仕事は、年末年始のお休みに入りました。このお休みだけは、完全にお家にいますので、大掃除やら障子の張り替えやら色々することになります。それでもテレビのない我が家では夜は長く、遅い時間まで焼酎を片手にダラダラ本を読むことになります。例えば昨夜はこの本でした。秋に買って積んでおいたのを引っぱり出して読みました。今度城のある土地へ行く際にはもう一度改めて読まなきゃ、と思った本です。歴史作家は粘着質の方が多いのでしょうね(そうでなきゃこんなに調べまくって書けないですね)。海音寺潮五郎もご多分に洩れず、数多くの古い資料にもあたり彼の解釈もまじえながら興味深いエピソードを重ねて本書はできています。

 さて、正月が終わるまでも何冊の本が読めるかな☆

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2005年12月26日 (月)

読書感 祖国とは国語:新潮文庫

 藤原正彦は全著作読破している私の大好きな物書きの一人です。彼の文庫新sokokutohakokugo作がこれ。小学校教育で国語が何をさしおいても重要、との彼の主張は全面的に賛同するものです。藤原正彦の真骨頂は、自分の体験に基づいた記述でしょう。「若き数学者のアメリカ」「遙かなるケンブリッジ」(いずれも新潮文庫)などはとても楽しく、出かける時に時々持って出て読みなおす本の一冊です。本書でも「満州再訪記」は日中戦争の歴史を折り込みながら藤原一家が満州を訪れる興味深い一編でした。

 「流れる星は生きている」(中公文庫)は藤原一家が満州から逃れてくる記録の本(作家、新田次郎が誕生するキッカケの一つになった本)ですが、正月に読みなおしたくなりました。

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2005年12月25日 (日)

読書感 永久も半ばを過ぎて:文春文庫

towomonakabawosugite  今年鬼籍に入った物書きで私が好きだった、中島らも。アル中の自己体験を小説にした、「今夜すべてのバーで」(講談社文庫)、アル中に加え薬とブロンの中毒でもあったことを告白したエッセイ集、「アマニタ・パンセリナ」(集英社文庫)など、依存症にについて、自分の過去の経験からすばらしい文章を紡ぎ出していた方でした。私にとって彼のユーモアのある文章はストレス解消には最適で、夜に本棚から引っぱり出しては15分ぐらい勝手に開いたところを読んだりしています。「永久も半ばを過ぎて」も多分自分の体験がかなりベースになっているだろうなぁ、と思われる一冊です。しかし、こんな旦那を持ったカミサンは大変ではないか(自分のことは棚に上げて)、と思いますが、是非らものカミサンの文章も読んでみたいものです。彼の作品からは結構ユーモアのセンスのよい方と思われますので。

 年末にあたり奇才中島らもの冥福を祈り、改めて合掌。

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2005年12月23日 (金)

クルミ割りの活用法

 冬の夜の楽しみは秋に拾ってきた「銀杏」をストーブの上に乗せて焼きながら食べることです。少し塩をかけて食べると、これが最高!封筒に入れて電子レンジでチン、とのやり方もあるようkurumiwariですが、やはり焦げ目のついたストーブ焼きが一番です。

 さて、銀杏を食べるのに固い皮を如何に割るか、は大きな問題です(大げさかな)。以前はペンチを使っていましたが、今ひとつ色気がありませんでした。ところが最近はコレッ!クルミ割りですが、なかなかの優れものです。一昨年フィンランドへ行った帰りに、コペンハーゲン空港で購入したものです。フランス製でクルミを割るには少し華奢にも見えますが、銀杏を割るには非常に使い勝手がよくて重宝しています。 今宵も芋焼酎を飲みながら パチン とやりますか♪

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2005年12月22日 (木)

富士山

 寒い日fujisznn_1が続いていますが、今朝職場から見た富士山が美々しく、思わずパチリ。

 こんな雪をいただく富士山は普通正月過ぎ、二月頃の風景です。夏の富士山は雪がなくなりますが、やはり雪をたくさんかぶった富士山が一番美しく私は好きです。新幹線に乗っていても天気がよいと富士川の鉄橋で雄大な富士山が見られますが、青空に富士山がドーンと現れると、車内に一瞬「オオッ!」といった空気が流れます。毎日富士山が見られる幸せに感謝です。

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2005年12月21日 (水)

盲ろう者とパソコン

mourouseikatukunnren_1 mourouseikatukunnren_2  今年度から職場で「盲ろう者生活訓練事業」を開始しました。ニーズが多かった「バソコン学習」をテーマに取り組んでいますが、周辺機器の発達で視覚と聴覚に障害を持つ方々にもパソコンは便利なツールとなっています。弱視ろうの方なら文字を自由に拡大するソフトや、全盲ろう(全く見えなくて全く聞こえない)の方でも、点字ディスプレイによって表示されるテキストを読むことができます。今まで通信手段がなかったのですが、これぞIT技術の正しい使われ方、だと思います。ただ、パソコンの使用は基本的にマウスを使う事を想定していますので、ショートカットだけではソフトの全ての操作ができなかったり、テキストを読み上げるソフトを使っても作業ウインドウの全ての文章を読み上げなかったり、と不都合な部分が多いのも事実です。また、入力も点字特有の「六点入力」ができるように設定するのですが、キーボードによっては対応できないこともあり、メーカーには考慮願いたいところです。

 盲ろう者の生活はパソコンを使うことによって確実に広がっています。

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2005年12月20日 (火)

読書感 新選組秘帖:文春文庫

shinsenngumihichou  新選組ものがおもしろいのは何故でしょうね。十人十色で解釈がありそうですが、私もハマっている一人です。そんな新選組ファンにはたまらない一冊です。同じ文春文庫の池波正太郎著「幕末新選組」のような長編小説も楽しいですが、こちら短中編で揃っています。今までとりあげられなかった隊士も主人公とし、フィクションもありますが、十分に満足のいくエンターテイメントです。一つ読んで余韻に浸っていると、すぐに次が読みたくなり、気づいた時には全部終わっていた、そんな感じの本でした。

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2005年12月19日 (月)

クレソンが増えたよ♪

kureson  我が家の裏は田んぼになっていますが、そこをすぎると梅林になっています。梅林は山の際にあり、そこからは一年中わき水がでています。「こんなところにセリやクレソンがあれば便利なのにな」と思い、他の場所からクレソンを少しとってきて植えてみました。春先にそんなことをしたことも忘れていましたが、今日散歩をしていましたら、ご覧の通り。たくさん分けつして、「クレソン畑」になっていました。ここなら朝一番で取りに来ることができるし、添え物にするぐらいなら一年中楽しめます。夜はさっそくクレソンサラダにしてみました。我が家まわりの「社会資源」ならぬ「自然資源」がまた一つ増えました。

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2005年12月17日 (土)

落ち葉集め

otiba  山ではもう広葉樹は葉を散らしていて、冬の風景です。この時になると山へ行って堆肥にする落ち葉を集めてきます。「山の行く」といってもすぐ近く、普通の道でコンクリートののり面があり上が雑木林になっているようなところが最適です。そんなところは道の脇に上から落ちてきた落ち葉がつくなっているのです。今年はもう一つ、栗畑が落ち葉拾いに最適であることを発見。発見なんて大げさですが、大きな栗の全ての葉っぱが落ちるわけですから、量は半端じゃありません。そんなわけで時間を見つけてはいっぱい拾ってきました。正月休みに堆肥に積むことにします。

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2005年12月15日 (木)

田んぼ作業

 昨夜、裏の田んぼの話を書いたら、私自身の米作りも少し述べてみたくなりました。無農薬の有機農業って何ですか?と聞かれれば、「有機農業とは草取りです」と一言で答えられるぐらい草との格闘でした。特に田んぼは苗を植える前に代かきをしますので、ヒエなどの草はみな泥の中に種としているわけです。対して、我が米の苗たちは20センチは伸びているのを植えますので、スタートラインは我が米苗が断然有利なはずなのですが、あら不思議。7月の半ばになればヒエの方が田んぼで偉そうにのさばるようになります。とにかくあの生命力にはたまげました。
 草取りの季節になると、援農部隊が旨いビールを飲むために働きにやってきましたが、米とヒエとの見分けがつかず、おまけにヒエの方が威勢がいいものだから米を抜いてしまったり、と大笑いもたびたびありました。全く、夏の田んぼの草取りぐらい大変な作業はなく、米もそれなりに伸びてきていますので、腰をかがめて田んぼにはいつくばっていますと顔や手足は葉っぱで擦り傷がたくさんできるし、目には飛び込んできますし、天気が変わりそうになればブヨがわんわん飛び回り、と除草剤のありがたさがよ~~~くわかった思い出です。

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2005年12月14日 (水)

田舎暮らしの魅力

 私自身は84年に百姓を目指して脱サラ、富士川町で農業研修に入り、87年の五月の連休に清水市両河内の西里に越してきたのが山暮らしの最初でした。今ではサラリーマンに戻り、庭の畑で自家用の家庭菜園を作ったり、少々のニワトリを飼っているだけですが、当時から10年たった今でも農的暮らしを求めてやってくる人がいます。例えば、今年我が家の裏にある田んぼで無耕作無肥料で草だらけの米作りを始めた御仁です。昨年から我が家の近くの農家の廃屋を借りて一人で生活をしている女性です。彼女が暮らしている家は古くて換気のいい家ですので夏は最高ですが、冬は・・・というわけで生活を始めてから最初の冬である去年は「音を上げるのでは」、と思っていましたが、「寒い、寒い」いいながらも乗り切り、部落の中で暮らしています。今年も寒い季節に入りましたが、元気にやっています。山での暮らしは人を魅了するものがあるのですね。

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2005年12月12日 (月)

読書感 白夜(①・②・③):嶋中文庫

 渡辺淳一と聞けば「失楽園」と言われるぐらい男女小説書き手のイメージですが、その彼の自伝的小説が本書です。外科医だった彼には野口英世の生涯を綴った「遠き落日(biyakuya集英社文庫)」など、医学界の関する小説やエッセイも数多くあります。私としては男女小説はあまりに生々しくて引いてしまいますが、彼の医学に関係する小説などは好んで読んでいます。

 その渡辺淳一の20才から35才までのまさしく青春時代、医者として大学病院でまずまず順風な職業生活を送りながら文学を捨てきれず、最終的に医者を辞めて作家となる決意にいたる、文庫本で約1,600ページの物語です。私としては、後半をすぎていよいよ医者をとるか文学をとるか本格的に悩み出した辺りから、なお一層興味深く読みました。ただ、よく知られている彼の「無頼生活」は意識的にトーンを下げて書かれています。その理由は後書きにも書かれていて、それは読みながら私が感じていた「作者の意図」と同じものでした。しかし、作家へと転向していく中で彼にとって「無頼」のイメージは大きいものがあり、「書きすぎると本来のテーマがぼけてしまう」恐れの中での筆致は、私にとってスリリングに感じました。「阿寒に立つ」や「白い宴」をもう一度読み返したくなりました。

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2005年12月11日 (日)

春のイモ達は今

 7月に全部menodeta_imo掘りあげたじゃが芋さん達は、冷暗所でおとなしくしていますが秋になってご覧の通り、一斉に芽が出ています。芽が出れば、イモの中の養分もそちらに費やされるので、イモ自体もシワシワになってきて見た目は非常に悪くなり、旨そうには見えなくなります。しかし、しかし、味は落ちないのですよね。かえって「美味しくなった」と言う人もいるぐらいです。

 以前にスーパーで買ってきたイモを置いておいたら秋になっても芽が出てこないので不思議に思ったことがあります。芽が出ないように処理をしているとか。シワシワになって芽が出たおイモさん達を見ることができるのも家庭菜園のお陰でしょうか。春まで食べられる量はありますので、これからも美味しくいただきます。

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2005年12月10日 (土)

京都駅のクリスマスツリー

turii  昨日は日帰りで京都まで行きました。最近の出張も大阪辺りまでなら日帰りが当たり前になってしまいました。今月は昨日も含めて3回京都へ日帰りで行くことになっています。「京都へ行く」と言いますと「いぃねぇ」と皆からの反応ですが、こちらとしては場所を替えて会議をやっているようなものですから、あまりピンと来ません。それでもこんなな風景を見ると、「違うところに来るのもいいな」と思ってしまいます。皆立ち止まって携帯のシャッターをきっているので私も撮してみました。

 京都駅は新しい駅舎が建った時には賛否両論激しかったようですが、京都外部の私から見れば、「こんなのもありかな」と否定的には感じません。ツリーをしばらく眺めて新幹線で帰ってきました。

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2005年12月 8日 (木)

12月8日は何があったかな?

 12月8日は何の日?大きな戦争が始まったのはかなり前の話し。その他にも12月8日もいろいろなエピソードがあるでしょうが、ジョン レノンが暗殺されたのも12月8日でした。1980年ですから、25年前ですね。私は学生でしたが、当時のバンドでもジョンの曲をコピーしていたこともあり、大きなショックを受けました。1980年は1月にポール マッカートニーが彼のバンド「ウイングス」で初来日の予定でした。前年の12月に当時青山にあったウドー音楽事務所に並んでチケットをとりました。まだ、チケット予約制度はありませんでしたので。正月から、「今年はポールマッカートニーだ!」とウキウキしていましたが、彼は成田空港に着いたとたん麻薬所持で捕まりそのまま国外退去。もちろんコンサートはオールキャンセル。1月早々そんな出来事があり、12月にジョンの暗殺。1980年は私にとってビートルズと関連した出来事があり、思い出深い年です。今日、改めてジョン レノンに合掌。

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2005年12月 6日 (火)

聴覚障害者緊急災害情報保障訓練の準備

 阪神大051206_210200震災などを経験して、災害時に耳の聞こえない方にいかにして迅速に正しい情報を伝えるか、は私たちにとって大きな課題です。幸いにもIT技術の進歩で携帯電話やパソコン、テレビ電話等が可能となり、以前では100%夢だと思われていた情報の提供ができるようになってきました。「これぞIT技術の正しい使われ方」と思いますが、じゃぁ、それらの技術を使って具体的にどのようなことができるのか、さらにどんな可能性があるのか、その訓練を明日実施することになりました。今日は会場の設営や中継を行うためのスタジオ作りや、その他モロモロで遅い時間までかかりました。さて、明日が 楽しみです。

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2005年12月 5日 (月)

読書感 東京の戦争

toukyounosennsou  先月宮崎へ行きましたが、タイガーウッズがきている関係か帰りは飛行機がとれず新幹線などで帰ってきました。お陰で時間がたっぷりあり、文庫本を3冊読めました。

 その中の一冊、「東京の戦争」(ちくま文庫)は吉村昭が体験した戦争記です。悲惨な戦時中に学生の彼が住む東京の様子はどうだったのか・・・真っ黒に焼けた死体が転がる中、人々は結構逞しく暮らしていました。今まで吉村昭のエッセイで読んだ事柄もいくつかありましたが、空襲で焼け残った金庫はすぐに開けると余熱で中のものに一瞬にして火が入る、と関東大震災の経験で忠告する大人のエピソードなど、改めて生々しく時代を感じます。しかし、国の方針の誤りで焼け出され家族を失った人々が国に対してどのような感情を持っているのか、やはり今ひとつ理解できないところも残りました。それでもいつもの彼の著作の常として読みやすく、3時間もあれば読める一冊です。

 私個人として、吉村昭は全著作読破を目指している作家。次は「彰義隊」が楽しみです。

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2005年12月 4日 (日)

防災訓練

 静岡県では12月第一週を中心として毎年各地で地域防災訓練が行われています。東海地震の危険がいわれてもう20年以上経ちますが、万一災害が起きた場合に耳の聞こえない方にも、きちんと情報が伝わる事が大切です。しかし、聴覚障害者はコミュニケーションがスムーズにとれないため、日常的にも地域の交流が薄くなりがちです。地域社会に聴覚障害者の存在や、生活上の不便さなどを知ってもらうためにも「聴覚障害者も積極的に地域の防災訓練に参加しよう」と本日の訓練に多数参加しました。

 今日私も伺った静岡市南部の訓練は地区の総合病院も全面的に関わって「トリアージ模擬訓練」を実施していました。状況は見れば何とかわかるでしょうが、説明はやはり手話通訳なり要約筆記がつかないと通じません。今日は市から手話通訳者が3名派遣されていていました。

 この7日には聴覚障害者緊急災害情報保障訓練がCS障害者法統一機構の主催で実施されます。私の職場もメイン会場になっています。これを機会に聴覚障害者の防災活動への取り組みもさらに活発にしていかなければ、と改めて思いました。災害直後の安否確認から情報保障体制の構築と、課題はいっぱいあるな。

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2005年12月 3日 (土)

県内全市町村で手話通訳者派遣事業立ち上げ

 私が住んでいる静岡県で今一番ホットな話題は、平成16年度からスタートした県内全市町村での手話通訳派遣事業立ち上げの話題でしょう。今日は長文になりますがそれについて記しましょう。

 事の初めは平成15年6月、同年秋に開催される全国障害者スポーツ大会「わかふじ大会」にむけて全県で取り組んでいる中、社団法人静岡県聴覚障害者協会(静聴協)・静岡県手話通訳問題研究会(静通研)合同会議の場で、「平成16年度から県手話通訳者派遣事業を廃止し、全ての市町村に手話通訳者派遣制度を立ち上げる」方針だと県から話しが伝えられました。その時から静聴協・静通研は障害者国体と派遣制度の二つの大きな課題を抱える多忙な日々が始まりました。
 それまで、静岡県ではいくつかの市町で手話通訳者派遣事業を実施してして、それらの市町に住む県民の割合は80%以上でした。しかし、逆に想像すればろうあ者の20%の方々は一番身近な町村で通訳の保障が受けられない状態で県派遣事業を利用していたのです。これら派遣事業未実施の町村に派遣事業を立ち上げるべくかねてから働きかけをしてきましたが、ここで一気に具体化しそうな流れの中、静聴協・静通研は極めて重要な提起と受け止め、協議を開始したのです。
 両団体が一番危惧したのは「制度はできたが内容が貧弱だったり地域間でバラバラだったり」という状態です。そこで、派遣制度にばらつきがでないよモデル要綱を作成し、市町村に示しながら制度を立ち上げていく方法で取り組みを進めていくこと県に申し入れ、合意しました。モデル要綱の作成には何度も会議が重ねられました。この作業は今までの私たちの取り組みを改めて整理することになりました。通訳制度の理念、手話通訳の専門性評価等、私たちはどのような制度を望んできたのか?また、今考えられるベストの制度はどのようなものか?を明文化する取り組みといえます。
 全県下を統一するモデルの作成は初めての取り組みです。派遣事業がない町村では聴覚障害に対する理解もないのが残念ながら現実です。下手をすれば今後さらに市町村間で制度の格差や理解の度合いの差が大きくなっていく、との危機感を持ちながら取り組みは進み、16年度4月から2町を残して全ての市町村で手話通訳者派遣制度ができました。併せて、県派遣事業も聴障団体行事などで通訳が必要な場合、派遣できるように制度を残すことになりました。
 今回の取り組みの成果は、制度面では「手話通訳はろうあ者健聴者双方に必要なものであり、併せて専門性の高い仕事である」と県も理解し、県派遣事業の要綱を改正し(例えば専門性の一つの評価ともいえる通訳料は3,180円/1時間となる)市町村派遣事業のモデルとなったこと。関連して、「人材育成は県の仕事」と役割を整理したため、手話通訳者養成事業や現任研修などの予算の大幅増額(平成17年度では年間約1千万円)があげられます。運動面では特に派遣事業のなかった地域で手話サークルとろうあ者が一緒になって、行政との関係作りをしながら事業が立ち上げに取り組んだことです。それにより、多くの町村でも聴覚障害者の生活や手話通訳の必要性に対する理解が進んだ、といえるでしょう。
 そして、市町村派遣事業が立ち上がりろうあ者や手話通訳者にどのような影響があったのか、今各地域の通訳者団やろうあ者集団にアンケートを実施しています。どのような評価がでるか、楽しみでもあります。

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2005年12月 2日 (金)

お散歩

icyou  先週の日曜はお休みでした。しかし、振り返ってみると日曜日に家に一日いたのは今年は行って初めてです。翌月曜も休みでしたので「連休」でしたが、連休も正月以来初めてです。かなり不健全な生活をしている・・・・と反省しつつ日曜午後はお散歩にでました。

 家を出て興津川沿いに一番奥の部 落をトコトコ歩きましたが、初めて見る風景も多くありました。そんな中の一葉、今の季節最適な風景を携帯で撮りました。部落を見下ろす小高い丘の上にお寺はありました。この銀杏は樹齢どれぐらいかわかりませんが、昔からみんなの暮らしを見ていたのでしょう。

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