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2006年2月27日 (月)

トリノオリンピックが終わりました

 トリノオリンピックが終わりましたね。テレビのない我が家ですが、ラジオと新聞だけでもフィーバーぶりが伝わってきます。日本といえば一人の女性のためにこのオリンピックはあった感があります。多くの出場者がいて、健闘・善戦はあったものの、あの金メダルをうける瞬間に向けて全てが進んでいた、とはちょっと皮相な見方かな?昨日電車で隣の若い女性達が「一日でいいから荒川になりたい!」と言い合っていましたが、若い女性達のあこがれがまた増えたのですね。

 しかし、国内の各企業がスポーツクラブなどの廃止や縮小を打ち出している様子を見ますと、今後日本選手のオリンピックでの上位入賞はますます難しくなるような気がします。同時に子ども達の夢もますます幅の狭いものになってしまうのでしょう。何ともやりきれない気持ちになります。

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2006年2月24日 (金)

日本自転車振興会の裁判傍聴記

 少し前のお話しですが、以下にmatumotoshi benngodann 記します。

日本自転車振興会(以下振興会)から社会福祉法人全国手話研修センター(以下研修センター)に対して支出された補助金取り消しを求めた裁判の第一回法廷が12月13日に東京地方裁判所でありました。私も全国聴覚障害者情報提供施設協議会の立場でこの裁判の傍聴に伺いました。
 この補助金は二年前に研修センターがコミュニティ嵯峨野の建物改装の際に支出されたものですが、昨年になって「補助金が目的外使用されている」として振興会が半額の返還を求めたことに端を発しています。問題となっているコミュニティ嵯峨野の宿泊部門について両者の言い分は
 ☆振興会:営利事業を展開しているので補助の対象とならない
 ○研修センター:社会福祉法に定める収益事業で申請時に理解できたはず
と平行線のまま、何回か両者の話し合いがもたれてきましたが、結局振興会から補助金取り消しの訴訟が起こされたのです。
 この日、傍聴に訪れたのは全日ろう連・全通研・士協会等から約60余名。法廷には入れたのは約半数でした。裁判は、訴状陳述・答弁書陳述と型どおり行われましたが、冒頭に全日ろう連理事長で研修センターの理事である安藤氏から意見陳述がありました(事前に裁判所へ要望していたものです)。安藤氏は手話やろう者の置かれた立場、その歴史から社会への働きかけ、その中で研修センターの占める位置等を述べ、最後に「今までの振興会とのやりとりも誠意を持って対応してきたし、申し出はまさに青天の霹靂」、と結びました。それに対し振興会の陳述は冒頭で「研修センターの活動に敬意を表し、その活動を妨げる意志は毛頭ない」と最大限の敬意の挨拶がありました。閉廷後松本弁護士の話しでは、「傍聴人が多数詰めかけたので、振興会のあの発言になったのだろう」との事です。しかし内容は「返却方法は分割払いなど柔軟にこちらも受け入れるので、とにかくお金を返してね」の一点張り。今日の第一回は20分程度で閉廷しました。研修センターとしては今後も公開法廷で続けていくことを求め、次回法廷は2月14日の午後に決まりました。その間に両者による進行協議が持たれることとなっています。
 閉廷後東京地裁の隣にある東京弁護士会館で、弁護団による説明会が開かれ、研修センター、弁護団と傍聴者全員が参加しました。今回の裁判で振興会の体質、福祉に対する思想を問い直し勝訴に向けて全力で戦う、との決意が述べられ、その後質疑応答と続きました。その中で、
 ・ 今回のような判例は過去には見あたらない
 ・ 相手方(振興会)の言い分の真意はまだ不明である
 ・ 訴訟の性格づけを論議していく(契約の課題として論点を整理)
  ・ 今後どれぐらいかかるかは次回の様子を見ないとわからない
 ・ 傍聴席に座れず待合室で待っているだけでも裁判にはいい影響がある
 ・ 今後も多くの傍聴者がいることが望ましい
等の説明があり約1時間で説明会は終わりました。今後どのような取り組みが必要になるかはまだ不明ですが、裁判の行方を皆で注視していきましょう。

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2006年2月20日 (月)

読書感 カルト資本主義:文春文庫

karutoshihonnsyugi  現代の様々な事柄を多方面から分析し、結局は同じ背景・課題である!と証明した本です。私の周りにもアムウェイ見られる商法を勧めてくれる方がたくさんいます。「脳内革命」に凝って色々お話しをしてくれるいる知人も多いです。また、有機農業をしていた時に「ヤマギシ会」に誘われたこともあります。今まで上のような経験をしながら、話を聞きながらうなずける主張もあるものの「何か違うぞ」と感じもことも多くありました。それは直感に近いものですが、かなり基本的な部分に関わることでした。それが、この本を読んで全部同じ根っこでつながっていることがよく理解できました。また、索引もあって、今後何回もひっくり返す本になりそうです。

 斉藤貴男の著書は「機会不平等」が最初に読んだものでした。これは2000年に書かれた本ですが、それから数年経って障害者自立支援法などの制定を見ても、この本に書かれた方向は多方面でさらに進んでいる、と言わざるをえません。多くの人々に読んで欲しい書き手です。

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2006年2月14日 (火)

レクイエム その2

 先日、友人が亡くなった記事を書きましたが、考えてみると「死ぬには早いな」と感じる方の死が周りで多いようです。今日たまたま「死刑」の求刑のあった静岡市内の殺人事件(昨年1月)で殺された方も、以前そこのクリニックへ行った際におしゃべりをしていた方でしたし、5月にこれまた静岡市内で墜落して亡くなったヘリコプターに乗っていた方々もカミサンの仕事仲間で、警察葬の司会もカミサンがしました。先日亡くなった手塚さんの仲間達でもこの10年間に40~50代で2名亡くなっています。一人は家族でスキーにいった帰り、車中で「気持ちが悪い」と言って帰宅早々亡くなりましたし、もう一人は独身でしたが朝、アパートで亡くなっていました。

 死ぬことなんて、普段は全く頭にないのが正直なところですが、時々は考えなければなりませんね。手始めに以前とった朝日新聞社の仏教についてのムックシリーズを初めから読み直そうかな。ここに記した亡くなられた方々に改めて合掌。

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2006年2月13日 (月)

ばりそば

barisoba  先週末は全通研冬集会で山口へ行ってきました。山口もよいところですね。山口市内に温泉が湧いていますし、山頭火や中原中也を偲びながら街を歩いてもいいですし、足を伸ばせば萩や秋吉台なども見どころです。食べ物にはなんと言っても「ふぐ」があります。新山口駅構内のそば屋にも「名物ふくそば(400円)」なんて出ていますし。それらにも増して私が気に入っているのは「ばりそば」です。堅焼きそばと似ていますが、とにかくボリュームもあり絶品です。毎回山口へ行くと飲んだあとには必ず寄るお店です。今回も「ふぐ」の後に行きましたが、今度は「ばりそば」をメインに食べる夜もいいな、と思いました。

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2006年2月 6日 (月)

最低気温

mainasu8do  多分これが今シーズン最低気温でしょう。朝、表へ出るとマイナス8度でした。こんな朝は北側の表のの水道が出なくなります。人間が使う水道もさることながら、ニワトリの水もカチンコチンになっています。へたをすると昼過ぎまで溶けません。朝エサをあげる時に水入れも氷を割って水を入れ替えるのも仕事です。しかし、ニワトリたちはこのぐらいの低温は全く気にならないようで、元気に走り回ってタマゴを産んでいます。

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2006年2月 4日 (土)

レクイエム 手塚幸男氏

tezukashijikonokiji  先日、我が仲間が亡くなりました。新聞での記事によると、何でもミニバイクで走っていてコンビニで買い物のために路上駐車している車にぶつかったとか。夜の遅い時間で、かなり疲れていたのかも知れませんが、53才はまだ死ぬには早いです。路上駐車は私も時々運転していて腹を立てることがありますが、その犠牲になってしまうとは。ミカンの木の手入れや、ミカン切りの際には一番高いところまで上ってノコギリやハサミを器用に使っていましたが、もっと高いところへいってしまいました。酒も大好きで酔うとすぐに「どーんとでた花火がきれぃだな~♪」と踊っていましたが、花火のように逝ってしまいました。こちらもすぐにでも追悼の酒をやらねば・・・・合掌。

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2006年2月 1日 (水)

河内の大石

ooishi 我が部落の代表的な観光資源は、コレ。見れば単なる大きな石です(笑)。もともと奥の山の中腹にあったのが安政の大地震で不安定になり、翌年の大雨で鉄砲水となった時に転がり出たものだそうです。そんな経歴から、「安産の信仰」で訪れる方が多いようです。とはいうものの、石があるだけですのでバブルの時代には隣に土産物店が建ちましたが今では廃屋となっています。また、すぐ奥の杉林の中にはバンガローが数棟建っていますが、こちらも倒壊寸前です。このバンガローの一つにバブルの時代、「すーさん」と呼ばれる中年の方が独りで住んでいて、ベンツで毎日走り回っていました。時々飲み屋で一緒になりましたが、何をしている方かどこから来た方なのかよくわからりません。何でも土地のブローカーをしていたようです。バブルの崩壊後、知らないうちにいなくなってしまいました。先日、部落の人が「すーさんが伊豆の温泉で布団敷きをやっているのを見た!」と言っていましたが、今はどこで何をしているのやら。バンガローを見下ろしていた大石は、そんな社会や人の営みの変化に比べるとまさしく、「動かざること石のごとし」です。私が死んだあとも、ずーと鎮座しているのでしょう。

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