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2010年6月 6日 (日)

大平 大通院の創立はいつ?? その3

 大平にある大通院の歴史を色々調べていましたら、「真珠院取調べ書」という文書を見つけました。これは明治28年、真珠院第29世和尚、岡田覚如が県知事に出した文書です。真珠院は清水区梅ヶ谷にある古刹です。その寺と大通院はどんな関係??以下、お読みいただければわかると思います。この文書の大平に関する記述をうんと要約しますと、

 貞治4(1365)年今川範国が竜爪山へ狩りに行った際、全く獲物が捕れず、さまよった結果、大平まで来た。そこで座禅をしている僧、(照全比丘)と出会う。
 紆余曲折があり、照全比丘は範国に請われて、応安3(1370)年、庵原郡高部(現清水区内)に国光寺を建立。
 至徳元(1383)年、範国死去。照全比丘もその死を悼んで国光寺を去る。
 今川義忠(範国の5代後)の時代になり、廃寺となった国光寺を再興のため、安倍郡羽鳥村(現葵区)洞慶院の賢窓常俊和尚の公徳を聞き招く。そして、長禄3(1459)年、真珠院として再興。
 この賢窓常俊和尚が行脚の際、庵原郡大平に寄った時、照全比丘という僧の座禅業の話を聞き、その現場の大石を「座禅石」と名付け、村人の力を借りて一庵を立てた。

 とありました。この一庵が大通院の元かしら?賢窓常俊和尚が大平に来たのは、享Photo徳元(1452)年、とあります。ちなみに、賢窓常俊和尚を迎えた今川義忠は義元の祖父となります。
 両河内村史にある「明慶」の元号は全くの間違いのような気がしてきました。また、今川義元の言い伝えも、かなり脚色されたもののようです。そのうち真珠院へ伺って実際に聞いてみましょう。
 写真は現在の道から座禅石を見上げたものです。ここに座っていたのですな。

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