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2010年9月30日 (木)

両河内の家の数は??

 先日は両河内の面積を確定するのが難しい、と書きましたが、基礎的な数字として「面積」の他に「人口」と「世帯数」などがあります。人口については、調べれば色々出てきます。国勢調査の結果も調べられますので、推移などを追いかけることも比較的容易です。
 一方、「世帯数」は調べていくと、おもしろいことに出会いました。昔の統計資料では、「戸数」になっているのです。
 ご承知の通り、「戸数」は家の数、「世帯数」は生計と生活場所が同じ集団の数、と違いがあります。要するに一つの家であっても世帯分離していれば二世帯、となるのですね。我が地区は田舎ですから、戸数と世帯数との間に大きな差はありませんが、世帯数が若干多いのは、当然のことです。
 しかし、今では「戸数」調査はお目に掛かりません。同時に、古い資料を見ると「世帯数」の調査はなく、全て「戸数」です。「戸数」で調べていたのが、いImga0032つから「世帯数」になったのでしょうか。色々資料をあさっていると興味が尽きません。

 今日は、アップのパルちゃんショットはいかが。

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1997年11月 パソコン入門 5

 前回までに、電子化した文章は「保存に場所をとらない」「検索が簡単」「切り貼りなどの編集が簡単」とお話ししてきました(順序は逆でしたが)。電子化した文章を扱うにはワープロ専用機でもパソコンのワープロソフトでも同じ?・・・さて、どうでしょうか。
 結論から先に述べます。
 1 ワープロ機ではダメです。パソコンでなければなりません。大きな理由の一つに前回も書きましたが、ハードディスクがあるかないかの問題があります。
 その他、先ずお勧めしたいことは、
 2 一台目はデスクトップ型ではなく、ノート型(さらにはサブノート)のパソコンをお薦めします。
 ノートパソコンがあれば必要最小限のデーターがいつも自分の近くにあり、それらを自由に扱えれるのです。これであなたの仕事は大幅にはかどるはずです。パソコンを上手に使えば、この夢のような環境に近づくことができるのです。常に近くにあるのだから、自分の机の上だけでなく、出張先でも、喫茶店でもどこでも仕事ができます。エッ、仕事に追い回される気がするって?ン~それは個人のレベルでの仕事管理に関わるのでしょうが・・・とにかく、上手に使えば便利この上ないのです。例えば原稿の書き出しなどは、昼休みなどの少しの時間に取りかかれます。これは書き出しの心理的障壁をとても低くしてくれます。
 3 OSについては「ウインドウズ」か「マック」かはここではあまり述べません(あとで少し触れます)。私にとってはどちらでもあまり差はないのですが、まわりで使っている人が多い方が便利でしょうか。
 4 ワープロソフトは「一太郎」(ワープロソフトの名前)をそろえてください。これも、あなたのまわりでで「ワード」を使っている人がたくさんいるのであればそちらでもかまいません。それと、慣れてきたらエディター(ワープロソフトの一種類で簡易ワープロソフトとでも理解してください)も用意してください。
 5 印刷機も一台目は価格の安い白黒で十分です。誰かが使わなくなった印刷機を譲ってもらうのも一つの「手」です。
 6 キーボードを打つのは少しの時間、練習してください。ブラインドタッチはそんなに難しくはありませんし、それができれば、パソコンは飛躍的に身近な存在になります。

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2010年9月29日 (水)

カラスの生態

Photo_4  先日、焼津を車で走っていたら、おもしろい風景に出会い、思わず車を停めて写真を撮りました。どこのカラスも人間を恐がらないものですな。カラスは黒くて、あまり好きでない人も多いようですが、まぁ、ほのぼのとした平和な風景、といえるでしょうか。

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1997年11月 レクイエム ジョンデンバー

 私が洋楽を好きになったきっかけの一人でした。彼は「警部マクロード」( NHKで刑事コロンボの後に続いた番組)の初期の作品のいくつかに出ていて、歌を歌っていました。当時、 FENを訳もわからないながら聞いていた私は、時々耳にするハイトーンの澄んだ歌声が、今テレビに出ている「彼」だとすぐに気がつきました。もう20年以上前になりますが、初めてLPを買ったのも彼のレコードでした。バンジョーを習い始めた(下手くそなまま終わってしまった)のも彼の音楽の影響でした。
 合掌
 # FEN・・「極東放送」。在日米軍向けの放送で小学校6年の頃からそれを聞くことが友達の間で流行したのです。洋楽は当時から私のウマに合ったらしく、全然英語がわからなくても「Top 40」(司会のケーシー ケイソンの物まねがはやった)など音楽番組が多かったので結構楽しめました(日本の洋楽ヒット曲番組より約2ヶ月早くチャートを登っていくのがわかったのはずいぶん後になってから)。アメリカンフットボールの中継などは臨場感「だけ」がビシビシ伝わってきて、それはそれで楽しめてBGM がわりにいつもラジオをつけていました。静岡県に引っ越してきてから、ラジオでうまくはいらないのです。少し、残念。

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2010年9月28日 (火)

五十一氏ライブ カフェ アンダンテ

100923  一昨年の秋に当地にある「やまめの里」でライブをした五十一氏。2年経った今回は富士宮にあるカフェ アンダンテでライブをしました。今回も楽しいトークと、すばらしいスチールギターの演奏にのせた歌を十分堪能しました。
 翌日は長野でライブの予定、とのことで、終了後早々に雨の中、車で出発されたようですが、無事に着いたかしら?
 今回のライブはビデオで撮りました。ネットで公開してもいいよ、と許可をいただきましたので、また近々アップしましょう。

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1997年11月 最近の高校生??

 もう、冬です。11月になるやいなや、両河内ではいきなり初霜がおりました(その後はまた暖かくなったのですが)。愛車「ネコバス」を動かす前にフロントガラスにお湯をかける季節となりました。日も短くなり朝夕は暗いし、おでんや鍋もおいしい季節となりました。
 さて、私の職場がある、静岡県総合社会福祉会館に横には公園があり、いつもそこを通って通勤しているのです。この頃、ホームレスのレゲエおじさんに混じって暮れなずむ少し寒い公園にいるのは「高校生のアベック」です。
 おじさん達(おばさんも二人ぐらいいるし、松葉杖のジイさんもいる)が言葉少なにベンチに腰掛けたり、今夜の寝床を整理したりしていて、人生のうらぶれた感じを出しているその近くの芝生の上で、高校生のアベックが横になっているのです。女の子は制服の短いスカートから足をにょきにょき出していて(寒くないのかナ)、男の子は男の子で彼女の髪をいじったりキスをしたり、とコミュニケーションに余念がありません(描写がリアルだって?・・・にょきにょきの足元で立ち止まって見ていても彼らは全く平気なのです)。
 かなり不思議に思うのは、いくら暗くて人通りが少ないとはいえ、公衆の面前。植え込みの中ならいざ知らず、通りに面した芝生の上、恥ずかしくないのかしらん??(適度な視線がないと燃えないのでは?とは同僚の分析)・・・という感覚がもう彼らとは違うのでしょうかね。
 そんな彼らが若い人たちの全てではないことは、こんな風景をあちこちで見ないことから理解は、できます(プリクラの暖簾の中で互いの腰に手をまわし合っている制服姿は時々見かけますが)。いやはや、何とも・・・。

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2010年9月27日 (月)

カボチャの収穫

Photo_2  先日、木の枝の上についたカボチャを紹介しましたが、それを含めて、畑のカボチャを収穫しました。
 今年は暑さも続き、スプリンクラーの水まきもよかったのか、美味しい実がつきました。これを春までにボチボチと食べるのが、寒い季節を過ごす楽しみの一つでもあります。板の間にゴロゴロしているカボチャを見ると幸せな気分になる秋です。

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1997年10月 パソコン入門 その4

 久々にパソコン入門を書きましょう、「パソコン入門はどうしたの?」と声をかけられ、以外と読者がいたようで・・・嬉しい限りです。

 私たちが日々いろいろな活動していると文章(文書・レポート等々など)はどんどん増えてきます。紙に書いてある文章が増えると何が困るのでしょうか。具体的に考えると、
 1 置く場所が無くなる
 2 検索が難しくなる
大きく分けて、このふたつでしょう。実際には置き場所がなくなってくるのに合わせて、整理が難しくなり、そこかしこに資料があふれ出し、目的の資料を探すのがさらに難しくなる・・・この悪循環が現状でしょう。ワープロで文章を電子化すると検索が楽になることはお話ししました。それと・・・
  場所をとらない
 電子化した文章はとにかく保存の場所をとりません。例えばフロッピーディスク一枚には原稿用紙約1,500枚の文章が入ります。煙仲間1ページを1,400字と考え、毎月15ページのものが届くとすると、一年間で原稿用紙 630枚で、フロッピーにはまるまる2年分保存できます。CD-ROMならその 400倍も記憶できます。原稿用紙60万枚もの文章が音楽のCD一枚の大きさになってしまうのです。ハードディスクの容量ならその2倍近いものも現在では普通ですので、原稿用紙百万枚!文字にして4億字!!煙仲間は1,600年分!!!(仁美さん頑張ろうネ)。これだけの量がタバコ一箱ぐらいの大きさになってしまうのです。個人の情報としてこれだけ収納スペースがあれば置き場所の問題はなくなるでしょう。
 特にハードディスクはここ数年で大幅に進歩しました。それまでは大容量のものは高価で、かつサイズも大きかったのです。当時はノートパソコンはあくまでも「サブ」としての存在で、持ち歩いて自由自在にノートパソコンを使う・・・とはいきませんでした。しかし、ハードディスクが急速に安く、小さくなったおかげでノートパソコンはディスクトップ(卓上据え置き式)パソコンと比べても機能的に遜色ないものになってきたのです。・・・パソコンの利点の一つです。ワープロ機にはハードディスクがありませんから(後日詳しく述べます)。

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2010年9月26日 (日)

まっすぐな道でさみしい Straight road full of loneliness

Photo  6月に浜松市の舞阪の旧東海道を紹介しましたが、あの時のまっすぐな道を今回、浜松へ行った際に反対側から撮ってみました。

 「Straight road full of loneliness」。学生時代に、アメリカから来た友人が飲みながら、「これがアメリカで一番有名な俳句よ」、と教えてくれました。この句はもちろん、種田山頭火の「まっすぐな道でさみしい」です。
 彼女は「full of lonelinessをつければ、ディズニーランドでも、マイケルジャクソンでも、何でもアメリカでは俳句になるの」と言い出したので、「Manhattan full of loneliness」、「Hamburger full of loneliness」とビールの勢いで座が一斉に盛り上がった、
楽しい出来事を思い出しました。
 「まっすぐな道」を見て「さみしい」と感じるのは、確かに日本人独特の感性なのでしょう。

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1997年10月 ポケットティッシュ

 5ケ・7ケ・8ケ・6ケ・6ケ・・・何だかわかりますか?答えは、私が毎朝JR静岡駅から職場まで歩く間にもらう、ポケットティッシュの数です。
 サラ金会社から飲み屋、スポーツクラブ、レンタルビデオ屋・・・と、いろんな会社が配っていますが、毎朝配られる量はどれぐらいになるのでしょう? 静岡駅だけで・・・、静岡県内で・・・、全国で・・・、ウヒャ~想像できない!! だいたいあれって一ついくらなのでしょう。5円?10円?う~ン、誰か教えて下さい。
 でも、あれだけタダで配っていてPR効果はどれぐらいなのでしょう? 全国で一日に配られるティッシュを作るのにどのぐらいの「木」を使うのでしょう? 「500 」と書いてある段ボール箱を足元に幾つも置いて配っていますが流通はどうなっているのでしょう? 毎日配っているあの人達は会社の職員なのかアルバイトなのか(「今朝、居酒屋のを配っていたあの人は、この前までペケペケ金融のを配っていた」とは同僚のウォッチング)? どこかでこのもらったやつを有料で引き取ってくれないかな(我ながらセコイ!)? ・・・毎朝色々なことを考えながらティッシュを受け取っています。
 ポケットティッシュの一生を調べると面白い文が書けそうです。「一生」と何気なく書いてしまったのですが、終わりの方にも興味のある話があります。ティッシュはちり紙と違って最終的に水に溶けないのですよね。我が部落は下水を合併処理しているのですが、そこのフィルターに詰まるティッシュはとても多いのです。みんな交替で掃除をするため、ティッシュは溶けないことを部落の人はイヤと言うほど知っていて、それを意識的に流す人はいないと思うのですが、それでもかなりの量がたまるのです。これも全国での量を考えたら・・・ウヒャ~頭がパンクしそうだ。
 あんなちっこいポケットティッシュに、うなされそうなぐらいの存在感が出てきたぞ。・・・もらったティッシュはどうするかって? 職場で箱に入れています。「助かるわ~」と女子職員は言ってくれますが、たまる一方です。「箱入れ」は私一人でやっているのですが・・・今朝も7つもらってきました。

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2010年9月25日 (土)

今年の彼岸花は少し遅いようです

100925  私の好きな西里の川合野地区の彼岸花。今日撮った写真と、昨年の9月25日に撮った写真とを比べるとつぼみが多いようです。一日二日、開花が遅い感じですね。やはり猛暑の影響でしょうか。それでも正確なものです。昨日からの涼しい気温と、彼岸花を見ると本格的な秋を感じます。
 そうそう、白い彼岸花がある、と一昨年に書きましたが、ある種の除草剤が影響しているそうです。脱色してしまうのでしょうね。

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1997年10月 秋ですねぇ

 10月になったら突然涼しく(寒く)なりました。我が家の猫・アスカくんも、それまでは勝手なところで寝ていたのに、人間の寝ている布団に潜り込むようになりました。毎年冬には「川の字」(人間・猫・人間……以前は「猫」の所に3ついた!)になって一緒に寝ているのですが、寝返りなどで踏んづけたことはないようです。人間の寝返りを察知して事前に避難するのか、踏んづけても人間が気づかないだけなのか・・・。
  コタツも恋しくなってきました。我が両河内は寒いので、特に年寄りのいる家はそろそろコタツが出てきます。梅雨末期には寒い日があるので7月中頃までコタツが出ていて、10月の声を聞くとコタツが恋しくなる・・・と、コタツがない期間は2ヶ月ぐらいです。でも、豆炭のコタツは本当に良いですね。もうそんな季節です。

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2010年9月24日 (金)

サーフハウスOta 静岡県湖西市

Photo_6  先日、静岡県の一番西、湖西市へ行ってきました。そこに、とあるサーフショップがあります。その名を「サーフハウスOta」。オーナーはろうあ者です。多分、全国でここしかないであろう、耳の不自由な方が経営するサーフシ ョップです。
 ドアを開ければ、そこはハワイ。サーフグッズにとどまらず、小物からいろいろハワイアンなものがそろっています。「ハワイの酒はある?」と聞いたら、「あるけれど、許可なく売れない」、とのこと。そりゃそうだ。
 お店の建物を案内してもらうと、奥はPhoto_7サーフボードの工房になっていました。リクエストの応じて、ボードを作ったり、傷などで傷んだボードの修理をしているそうです。
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月の残暑厳しい日でしたが、その残暑が、心地よく感じるトロピカルなお店でした。

 サーフハウスOta

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1997年9月 花巻はよいところ

 8月末に岩手県へ行って来ました。7月に宮城へ行き、8月に岩手、とここのところ東北づいています。研修だったのですが、ついでに花巻へ行き、友人の「ウメちゃん」にお世話になりました。
  1 夏の岩手県は涼しくて最高!!
  2 地価が安くてウラヤマシィ~!!
  3 花巻はステキな町!!
 「ついで」ではなくなった感じの岩手旅行は色々書きたいことがありますが、この三つに絞りましょう。
 先ず一つ目。やはり東北。涼しい!けれど、冬はたまらないそうだ(当然か!)。みっちゃん達が「冬の東北を体験しよう」と、以前に盛岡駅から歩いたそうですが、2キロでへばったという話を聞きました。あのみっちゃんが「酒はいらない。すぐ風呂に入りたい」と、か細い声で言ったとか、言わなかったとか。先ずウメちゃんは靴屋へ連れていき、スノーシューズを購入させたそうです。ウメちゃん曰く「冬の寒さを知らないんだよな」・・・無理からぬ話ですね。一年に一度も雪のない場所から行ったのですから。
 ウメちゃんが毎日通勤で通る道。遠くに山が連なり、後は一面の田んぼ。点々と建つ家には、庭の片側に大きな木が壁のように立っています。木々のない家には二階屋よりも高いフェンスが家を覆うように立っています。「ゴルフの練習場でもあるまいし、何あれ?」。ウメちゃんは・・・「冬にここの道を通ると時々ブリザードに会う」「運転していると20秒ぐらいは全く何も見えなくなる」。答えはブリザードから家を保護する目的の木々でした。
 岩手の本当の姿を見たり(イヤ、聞いたり)!次には是非、冬に来たいと思いました(勝手な旅行者の気ままな感想)。
 二つ目。ウメちゃん家は建て売りの新築住宅でした。隣がまだ売れ残っていたのでひやかしに見に行ったところ、「60坪に新築住宅(約4年前に作られまだ誰も住んでいない)付き」で2千万円ちょっと!!ウメちゃん曰く「買えば2~3割はまけるヨ」・・・オー!!清水市は何と高いことか!!清水で不動産まわりをしているのが突然アホらしくなった瞬間でした。家は防寒仕様で窓は二重、日当たりも良く、温泉も近い・・・。そうそう、ウメちゃん家の裏にある、私たちの泊まった温泉場(台温泉)にも温泉付きの中古住宅が売りに出ていました。客足も寂しいらしく、かなり大きな旅館(ホテル?)が閉鎖されていました。温泉も熱くて、最高!!条件が合えば別荘にしたい!!!
 その三。上で少し触れましたが花巻は、温泉があります。新幹線を降りてホームの窓から下を見たらカボチャのツルが真下まで伸びていたのもイイですねェ。駅前は大きな駐車場。ウメちゃん曰く「岐阜羽島と同じ」。でも岐阜羽島駅には大野伴睦の銅像が立っています。当然、花巻にはそんな無粋(失礼!)なものはありません。花巻の電車(銀河鉄道のモデル)もかわいいし。
 でも、個々の良さを言っても全体の感じは伝わらないのです。花巻は町全体が「癒し」の雰囲気を出しています。ウメちゃんが「癒しの町にしたい」旨、言っていましたが、言われる前に感じました。宮沢賢治の生家跡・開墾畑・イギリス海岸(ただの土手でした)・その他イロイロ・・・賢治の足跡をたどりながらウメちゃんに案内されて、町(田舎)の空気の中にいると実に気持ちが良いのです。以前・・・そう、奈良県の明日香地方を歩いたとき感じた雰囲気に似ていました。町全体が穏やか~に私を包んでくれるような・・・。久しぶりの感動でした。もっとゆっくり、ボ~と、また訪れたい、と本気で思いました。
 結論・・・花巻は宮沢賢治一色の町。とても気分のよい町。楽しい旅の想い出をウメちゃんありがとう。

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2010年9月23日 (木)

こんなところにカボチャが♪

 畑Photo_5のカボチャのツルが庭の植木へと、這ってきました。ツルは上昇志向が強いのでどんどん上へ伸びていきました。まぁ、いいや、と放っておいたら、木の枝の上にカボチャの実がなっていました。今年は暑い夏でしたが、スプリンクラーで水をあげていたせいか、カボチャも豊作です。さすがのサルさんもこんな高いところのカボチャは気付くめぇ。下にはパル姫が控えているし。
 お彼岸を過ぎて、ツルも枯れてきたので脚立に登って収穫しました。

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1997年8月 夏休み

 8年ぶりに宮城県のオヤジの実家へ行って来ました。まわりは一面の田んぼ(一枚で一町もある!!)で「ササニシキ」の名産地です。宮城県でも一番北の岩手県境と山形県に近い純農村地帯で、とてものんびりしたところでしたが、実家から車で5分ほどの所に東北自動車道のインターチェンジができてからだいぶ雰囲気が変わったようです。
 私が小学生の頃は毎年夏休みには一ヶ月もお世話になって、かやぶき屋根の大きな家、網戸が無くて蚊やそのた色々な虫が夜の電灯にわんさか集まって人間は蚊帳の中で寝たこと、蚊帳にはいるときもテクニックが必要だったこと、蚊帳をたたむのが大変だったこと、行くと毎回先ず歓迎で餅をついてくれたこと、従兄弟と川で泳いだり、地域の子ども会に混ざって夏祭りに出たりと、などなど色々な思い出があります。
 青森県の三沢高校が太田投手を配して、夏の高校野球で全国をわかした時も、ここにいました。東北の高等学校がもしかしたら決勝戦に、ひょっとしたら優勝も・・・と大きな期待があって、お盆に来ていた人たち全員がテレビに釘付けで、坊さんも混ざって仏さんをそっちのけで大騒ぎをしながら延長18回まで見ていました。
 それと想い出と言えば、とにかく言葉が通じない時が多かったこと。特にお年寄りの言葉が分かりづらい。何回聞き直しても、また、ゆっくり話してもらえば分かる・・といった性格のものではなくて、本当にちんぷんかんぷんで途方にくれたり、驚いた経験が何回もあります。
 今回はお土産に静岡県両河内のお茶を持っていきました。お茶の産地は福島県あたりが北限で、宮城県にはお茶畑はありません。昔はお茶が高級品のだったようで、私もガキの頃お茶でなく、白湯が出てきたのを覚えています。我が家でお茶を入れるときはお茶っ葉をコラショと入れるのですが、今でも田舎ではチョビッと入れるだけで、「深蒸し茶の味が出ないな~」と横で見ていました。それと最初にお茶っ葉の入った急須にお湯を入れて、それを捨ててしまうのです。以前にもどこかで同じような入れ方を見たことがありますが、なんだかもったいないな~。今度静岡へ招待することがあったらお茶っ葉をたっぷり入れたお茶をごちそうしましょう。

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2010年9月22日 (水)

座禅石から見た風景

Photo_2 以前、大平大通院の由来を調べていた時に、座禅石を見上げる写真を載せましたが、座禅石から「街道」の方を見下ろすとこんな風景です。山の位置は今も昔も変わらないので、向こうに見える山との間に、興津川が流れていたのは今も昔も同じでしょう。ただ、昔は川は大水が出るたびに流れを自在に変えていたので、人間の生活の方が川に合わせていたことでしょう。考えるに、道はそんな暴れまわる川の影響を受けないように、少し高いところを通っていたのではないかな。そこを今川範国が歩いていたのか。それはこの風景のどの辺りかな。と想像していくのはとても楽しいです。

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1997年8月 子犬の婿入りが決まりました

 婿入りが決まりました
 2月に子犬が我が家に来ました。それは捨てられた犬のようで、腹を空かして我が家のモモタロウ君の餌を食べに来たのです。誰かもらって~・・・と2月の日記で書きました。その後・・・。
 我が家の奥に「布沢」という部落があり、そこで毎年4月下旬に「タケノコ祭り」をするのです。それは大きなお祭りで、どこから来るのか毎年約1万人が訪れます。当然田舎道は細いので車が入るとどうしようもなく、車両進入禁止にして、専用駐車場から送迎バスを出しています。天気がいいとゾロゾロ我が家の前を歩く人も多いので、カミサンが「この子犬をもらって下さい」とポスターを貼りました。
 良いアイデアでしたが反応はゼロ。その後すぐにクロベェ(仮の名前です)は自分でそのポスターをビリビリに破いてしまい、「加藤家の子どもになりたい」と意志表示をしているようでした。
 我が家に来た頃はロクなものを食べていなかったらしく(当時は散歩の時も茶畑で肥料に撒いてある魚カスを食べたがった)、ドロを塗ったように毛並みも悪くて、あばら骨がゴツゴツ見えるほどやせていて、オマケに臭かったのですが、何回か体を洗い、コラショと餌を与えていたら(とにかくよく食べた)良い犬になってきました。ただ、おびえることが多くて、最初の頃は自分のクサリが足に巻きついただけでキャンキャン大騒ぎしたり、ホウキなどの棒みたいな物を持つと逃げてしまったりと、悲惨な幼児体験を想像させてくれました。顔の特徴はやたらとヒゲなどの顔に生えている毛が長くて、ちょうど村山前首相みたいでした。その顔で小首を傾げて見つめるしぐさがとてもかわいかったのです(完璧な親バカ!!)。
 また、クロベェはシェパードがかかっているらしく、見る見る間に体が大きくなり、6月になるとモモタロウと同じ大きさになりました。2ひきを引き連れての散歩はカミサンが音を上げ、完全に毎朝晩の私の仕事となりました。体格の良い二人の散歩は確かに大仕事で、「何とか、どこかへ婿入りさせたい!!」と切に思い、会う人ごとに「かわいい犬(もう子犬とは言えなくなったのダ)はいらない?」と聞いていましたが、やっと7月に磐田市へ婿入りが決まったのです(パチパチパチ)。
 7月には足の長いクロベェはモモタロウより背が高くなっていて、「どこまででかくなるのだ?」と思っていましたが、幸いそんな「クロ(新しい名前)でもよい」と言ってくれたので・・・良かった~。磐田へ連れていくときはおとなしく車に乗っていました。新しい庭につながれてひとしきり遊び、さて、お別れの時・・・私たちが車に乗り込んでも「べつに・・・」といった顔つきでしっぽを振っていました。ワンワン鳴いて後ろ髪を引かれる別れの場面を想像していたのに拍子抜けでした。
 その後連絡をとると、すぐに家族とも慣れて、新しい家の子になった様子。本当に良かった、良かった。半年間の共同生活でした。

 クロベェがいる間は「散歩が大変だ、庭が汚くなる、なんだ、かんだ」と言っていたカミサンは、いなくなると「さみしい・・・」とメソメソ。こんなんじゃ娘がいても嫁に出せないぞ~。

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2010年9月21日 (火)

両河内の面積は??

 いま、私の住んでする清水区両河内地区の文化を紹介するウエブページを作ろうと思って準備を進めています。
 地区を紹介するのに、先ず「広さはどれぐらいあるのかな?」と思い、色々な資料をあさりましたら、いくつかの記述が出てきました。しかし、皆それぞれに数字がバラバラです。困った時の公民館頼み、と確認に行きましたが、私が調べた以上のことは分かりません。
 山林がほとんどを占める我が地区では、全体を正確な測量をしたことがないようです。各字ごとに出している面積を積み上げたものを「両河内の面積」としているのです。その各字の面積も正確に測量したものではないので、誤差が入り込む余地は大いにあります。
 そういえば我が家も購入した際、当初の図面では「130坪」だったのに実測すると「180坪」でした。宅地でさえこの調子なので、山林では「10町歩ある」と言って実際に測ると20町歩だったり、50町歩だったりすることはザラです。
 さて、両河内の面積の記述はどうしましょう。図書館や森林組合をまわってもう少し調べてみようかな。

Image1097  写真は夜食をおねだりする我が家の愛ネコたちです。彼らも食欲の秋です。

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1997年7月 携帯電話を持たないでいた体験

 先日、静岡市内で飲んでいました。電話をかける必要があったので店内の公衆電話へ行きました。電話は2台とも若い女性がかけていたので、後ろで待つことにしました。
 一人が終わり受話器を置いて振り向きざま、私の顔を見て「アッ!」と大驚き。
「オイオイ。僕はストーカーじゃないよ。」とは言いませんでしたが、若い女性にあからさまに驚かれてはこちらも内心穏やかではありません。改めて「こんばんわ」と言われても、まだ訳が分かりません。
 話をしたら、以前、ある市で開催された講習会の講義を私が頼まれて話をしていた時、受講していたそうです。なんと、なんと・・・。でも携帯電話を持っていたら味わえない体験でした。

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2010年9月20日 (月)

ついにイノシシがやってきました

Photo  近所の人が「まだイノシシの被害ないかね?」と聞いてきました。我が家は「パル効果」が効いているのか、まだ無被害です。
 「うちの山は草刈りに行ったら刈る必要がなかった」と言うので見に行くと、ご覧の通り。柿の木の下が綺麗にうなってあります。まるでクワを使ったようです。たまたま、鉄砲をやる人が通ったので話しをしたら、「こりゃ二三日前だな」とのこと。裏の梅林でも夕方からラジオをつけ始めました。さて、臨戦態勢になりますか。。。

 話しは924tv変わりますが、4月に「NHKに少しだけ出演」と記事にしましたが、改めて制作した番組がNHK静岡の番組で放映されます。私もインタビューを受けていますので出るかな?編集でカットされるかな?
 とにかく、
 9月24日(金)
 20時00分~20時45分
 9月25日(土)  10時35分~11時20分(再)
で放送があります。静岡県内のみの放映ですので、県外の方はゴメンナサイ。

 NHK静岡放送局 フジヤマTV

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1997年7月 ある個展、ある作家

  以前、私が百姓をしていた頃にアルバイトをしていたパン屋の主人が富士市のロゼシアター(富士市のデラックスな公共施設)で個展を開きました(6月20日~29日)。川や海で流木を集めてきてそれで人体のオブジェを作っているのですが、各地のコンテストで賞を得たり、ヨーロッパで個展を開いたりと、最近マスコミなどでも取り上げられて少しづつその名が知られてきています。
 ものを作る人を「作家」と呼ぶなら、陶芸や染色の作家など私の友人に作家は多いのですが、彼ほど狂気というか、怖い感じを持つ作家はいません。彼自身は全然怖くないのですが、創作の姿勢に「狂気」を感じるのです。何と言うのか・・・何かに突き動かされて作るような・・・ものすごく創作のテンションが高いのです。猛烈に作りまくるような・・・。つきあい始めて10年以上たちますが、本当に驚異です。
 個展で作品を見て本人に会って、更にその思いを強くしました。近々ニューヨークに行くとのことで、その前にゆっくり酒を飲む約束をして、別れました。

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2010年9月19日 (日)

オトシブミ・・ではないようですが??

Photo  パル散歩の途中、柿の木の下で発見。オトシブミか??と思いましたが、集る木の種類も違いますし、調べたらどうも違うようです。
 失礼して中を覗いたら、芋虫君がいました。オトシブミの幼虫とはやはり体型が違います。ではこの子は誰なのだろう???
 いろいろな方が私たちのまわりで生活していますね。改めて実感。

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1997年7月 事故後の職場復帰

 彼が仕事をしている姿を見たのは3年半ぶりでしょうか。4年前の12月、もういくつ寝るとお正月~・・・という夜、友人から電話。「I が長野県で交通事故を起こして入院した。重体だ。」。
 本人は車の後部シートで寝ているときに起きた事故でした。治療・リハビリと入院生活が長く続き、体重もずいぶん落ちてやせました。そして退院、職場復帰。その間、職場は休職扱いになっていました(さすがは「大企業!!」)。
 職場では彼のために車椅子で使える机を用意し、専用のアタッチメントを使ってコンピューターの端末が使えるようになっています。年度始めに職場に戻って3ヶ月、仕事も慣れてきたようです。彼の家も、入院中に新築して彼が車椅子で生活できるようにいろいろと工夫された家となりました。自動車の運転免許も書き換えましたが、まだ車を運転するのは怖いらしく、障害者用に改造された新車はほとんど乗っておらず、通勤は送り迎えをしてもらっています。
 その職場で初めての車椅子常用の職員となった、根っから明るい彼は今日も元気に仕事をしています。

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2010年9月18日 (土)

マザーテレサの思い出

 今年はマザーテレサが生まれて100年になります。8月26日に生まれて、亡くなったのが9月5日ですので、9月上旬にこの記事を載せたかったのですが、延び延びになっていました。
 マザーテレサがノーベル平和賞を受けたのは1979年ですが、その後に来日をしています。確か1981年だったか、1982年だったか。当時私の通っていた学校にも来まして、講演を行いました。細かな内容は忘れてしまいましたが、小さい身体に似合わず太い声が、10号館の講堂に響いていたことは覚えています。
 マザーテレサが亡くなる一週間前にダイアナ妃が事故死していましたが、新聞の扱いが大きく違っていたのもよく覚えています。パパラッチに追われた不倫の妃の方が注目度は俄然高いのでしょうが、それにしてもマザーテレサの死の扱いは不当に小さい、と感じたものです。

Image1044  写真は工事中の新静岡センター。色々な角度から撮してみました。

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1997年7月 遠くにいた友人がやってきた

 学生時代の友人で外務省に入ったのが、国連の日本代表部で3年間勤務して5月に帰ってきました。二ヶ月間の日本滞在とのことなので6月半ばに久々に会って我が家で痛飲しました。
 「ジュネーブで結婚するのだったら忘れずに呼んでくれよな」と冗談を言ってから・・・まだ彼は独身でした。
 「いつも休日は何をしていたの?」
 「寝ていた」
  「英語やフランス語は上手くなった?」
 「向こうでも日本人としか会っていない」
いやはや、全然変わっていないな。私のカミサンも「貴方の友人ではいないタイプね」。でも、ここでは書けないような話も聞けて、「学生時代の友人は損得なしでつきあえていいな」と改めて思いました。
 次の赴任地はグァテマラの大使館だそうで、先日(6月21日)に成田を発ちました。発つ前に電話があったので「向こうで式をするんだったら絶対、呼べよな」・・・どうなりますか。

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2010年9月17日 (金)

秋になりました

Photo  台風後の雨も去り、一気に秋に入りました。朝晩は涼しく、今朝は18度。畑の作物もカボチャや遅まきキュウリはツルが枯れてきて、オクラは成りが悪くなってきて、シソは花の準備、秋ミョウガはそろそろかな。みんな、季節の変化に正直なものです。
 この季節の朝は一番気持ちがいいです。写真は我が家の前にある橋の上から南の方角を撮ったもの。陽が差す直前の風景は白い雲のコントラストも美しく、思いっきり伸びをして深呼吸するのに最適です。
 スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋・・・やはり食欲の秋ですね。

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1997年7月 レクイエム 吉田嗣義氏

吉田嗣義氏が亡くなられたとのこと。
 7月号の永杉先生の文章で吉田嗣義氏が死去されたことを知りました。以前の雑誌「煙仲間」にも書いたかと思いますが、吉田氏は私の学生時代に大きな影響を受けた本の著者でした。その本を使った読書会を開いてサークルで勉強をしました。その福祉に対する思想は若い私たちに大きな影響を与えてくれました。火事でその本はなくなってしまい、今は手元にありませんが、確か「協同生活」という言葉を使い、老人ホームでの生活を語られていました。「人間らしく生きていくのを互いに助け合っていく」ことがその意味だったと記憶しています。助け合いながら肩を寄せていくのではなく、自分が生きていくことを第一として、助け合いながら更に人間らしく生きていく姿勢とは、当に「煙仲間」の関係そのものです。
 他にも管理される施設を激しく批判する(おむつの定時交換もその例)のと合わせて、利用者の家族には「施設に老人を預けっぱなしにするな」とも厳しく戒められていましたし、そのほか本当に勉強になる内容が詰まっていました。ミネルヴァ書房の「老人ホームはいま」がその本ですが、福祉の仕事に戻った現在、また読んでみたい本です。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

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2010年9月16日 (木)

おおばの葉を食べ尽くす毛虫

Photo  秋の気配がしてくると大発生する毛虫がいます。おおばを好んで食べるのです。「おおば」とは「シソ」ではありません。この地域で通称言われている名前の草です。みかん畑などに好んで伸びていて、草丈が2mを超える草です。
 毛虫は、この「おおば」の葉をムシャムシャ食べ尽くして広がります。
 以前、富士川町(今では合併して富士市の一部)で農業研修をしていた頃、みかん山に生えている「おおば」が山の上の方から丸坊主になって、一日ごとに下ってくる様子を見たことがありますが、驚く光景でした。
 この毛虫も何かの蝶になるのでしょうか。生態もよく分かりませんが、この時期になると大発生をするのは年中行事です。

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1997年6月 やっぱり、国産車が最高♪

 カミサンの自動車がパンクしました。カミサンはフォルクスワーゲンのビートルに乗っています。そう、あのカブトムシです。外見はカワイイ車なのでが、これがなかなか・・・良く言えば荒削り、悪く言えば大ざっぱ。パンク修理をしたのですが・・・。
 1 車修理には先ずジャッキ。備え付けのジャッキを取り出すと、車体にジャッキの引っかかる穴があって、どこでも車体を自由に持ち上げる方法ではないのです。「お~、このような方式になっているのか」・・・ちょっと不便。しかも、車体の穴は以前に石かなにかにぶつけたらしく、穴が変形していてジャッキが入りません。仕方なく私の車からジャッキを取り出すことに・・・。
 2 ジャッキで持ち上げると、次はタイヤのネジ回し。ネジがとれると後には4つの穴が残るだけ・・・日本の車は「ナット」がとれるようになっているのですが、ワーゲンは「ボルト」がとれるのです。「???」・・・単なるボルトとナットの違い?・・・いやいや「単なる」ではないのです。日本の車はナットがとれるのでそれだけなのですが、ワーゲンは最後のボルトがとれるのと同時にタイヤが落ちてしまうのです・・・「オー」。圧巻はタイヤを付ける時。重いタイヤを持ち上げて車についている穴とタイヤの穴を合わせて最初のボルトを付ける時。日本の車なら先ず、でっぱっているボルトにタイヤの穴を入れれば良いので、何も考えたことはなかったのですが、この逆は大変だ~。日本でこんな車作ったらメーカーはクレームの山になりそう。
 3 スペアタイヤも油断ができません。ワーゲンのあのかわいいボンネットを開けるとスペアタイヤが入っているのですが、何とワーゲンはスペアタイヤの空気圧で窓ガラスをきれいにする液が出る仕掛けになっているのです。ですから、洗浄液を出しているとタイヤの空気はどんどん無くなっていきます。ひんぱんにスペアタイヤの空気圧をチェックしていないと、いざパンクの時、スペアタイヤは用をなしません。案の定、この時もパンク修理のを始める前に、まず最初にぺちゃんこになっているスペアタイヤをガソリンスタンドへ持っていき、空気を入れることからしなければなりませんでした。あまりスペアタイヤの役目をはたしていないなァ。しかし、なんて方法だろう。大昔の車ならいざ知らず・・・。いつまでこんな方法にしているのだろう(ちなみにカミサンの車は十数年前の製造です)。
 「ドイツ人は何を考えて車を作っているんだ?」と奇妙な発見が色々あります。
 いろいろ考えると日本の車が一番扱いやすいようです。

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2010年9月15日 (水)

サルの被害は続く

 三島市周辺のサルの被害はまだ続いています。他のニュースに埋もれてしまって、地元新聞での扱いも小さいですが、今朝も「噛みつかれた」と載っていました。
 近所の人が山の畑で、獣害防止のためにネットを張ったら、子鹿がひっかかり、もがいたあげくに死んでいたそうです。発見も遅れて、何日か経ってから見つけたそうですが、それ以来、鹿もサルもイノシシもピタッと来なくなったそうです。彼らにとっても恐いものはよく分かるのですね。
 近所の方と話しをしていると獣害の話がよく出てきます。サルがカボチャを両方の手に抱えて持って行った話し。でも冬瓜は無視して行った話し。コンテナをかぶせておいてもひっくり返して効果がない話し。帰宅したらサルが食卓でビールを飲んでいた話し・・・最後のは冗談ですが。
 サルもイノシシも里に下りてきて、生活圏は山奥でなく人家の近くになっています。人間に近い所で世代交代をしていますので、ますます人間に慣れてしまっているようです。

Image1087  写真は先日の台風崩れの大雨で増水した興津川。朝になっても濁流が続いていて恐怖を感じますね。落ちたら死ぬかも・・・。

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1997年6月 ホタルの初飛び

 4日に今年初めてホタルを見ました。
 昨年末に我が家の前の川の浚渫をしていました。河原は長い間に土がたまり、草や低木が生え、それはそれで趣もあったのですが、半月ほどの工事できれいになってしまいました。工事終了後に水は川幅いっぱいに流れています。それまで生えていた「クレソン」も川からなくなったので少し離れた場所まで取りに行かなければならなくなりました。
 そんな川でホタル。初めは一つ、ボ~と飛んでいました。
 「アレ~、ホタル」。目が暗さになれてくると「あそこにも」、「ここにも」。
 家のまわりにホタルが飛び交っているなんて、少しすてきですね。我が家の自慢の一つになりそうです。

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2010年9月14日 (火)

1997年5月 お茶刈り

 5月上旬には例年通り近所の家へ茶刈りの応援に行きました。
 普段モヤシの生活をしているので、一日炎天下にいただけで、まわりから「焼けたねー」の連続です。5月は紫外線が一番強いとか・・・うなずけます。
 昨年のお茶は遅霜のため刈り取りが2週間も遅れてさんざんでしたが、今年は順調でした。日中は茶刈りをやって夕方からは茶工場で少し手伝っただけで体は茶の香りに包まれて、最高の「アロマテラピー」ってやつです。汗を流して、良い香りに包まれるのですから、茶仕事は好きです。
 それはさておき、山に入って驚いたのは、一昨年と昨根の台風の傷跡です。今、両河内に来ますと、あちらこちらで植林がひっくり返っている光景を見ることが出来ます。それは山の奥の方まで続いていました。
 30年たった植林(杉や檜)は一見すると背も高いし、結構見事です。ところが近所の人に言わせるとその頃が一番弱いそうです。杉や檜は根が地中深く張りづらく、地表に近いところで「モサモサ」しているのです。植林して30年もたつと、以前生えていた(植林に際して切ってしまった)雑木の根も枯れているし、植林の根も十分ではないし・・・地表が一番弱い状態にあるそうです。
 加えて、山には手がほとんど入っていません。間伐などがしっかりしていれば木も十分に育っているのでしょうが、それもなおざりになっているのでひょろひょろの木が多く、成長は十分ではありません。根の成長も地上部に比例しています。
 「コリャーこれからは毎回台風で、さらにひどくなるな。」と素人の私が見ても明らかです。しかし、山の広い範囲で木々が倒されているのを見ると、言い様のない恐怖感があります(まるでマッチ箱をひっくり返したよう)。あそこも、ここもそのままで手が入らないでしょう。道も開いていないし・・・。それが将来の被害を倍加させるのでしょうね。
 加えて、山崩れもひどいものがあります。例えば、私が毎日通る道も、台風の時は上の山が崩れて通行止めとなりました。2回の台風で山肌はメチャメチャです。2年前までは杉林の中を通る、昼でも暗い道だったのですが、通行止めが解除されて通ってみると、覆いかぶさる木々はきれいになくなり、明るい道となってしまいました。
 今後は少しの雨でも崩れるでしょう。デカイ台風が来ると、道そのものが無くなるのではないでしょうか。
 茶刈りの話から発展しすぎました。

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2010年9月13日 (月)

両河内敬老会

100912  昨日は両河内地区の敬老会がありました。対象となったのは77才以上の高齢者、543名。現在、両河内の総人口は3,573名ですので、約15%が77才以上の方、ということになります。65才以上の方であれば全体の三割を超すでしょう。
 最高齢の方は102才。元気にお越しいただいておりました。
2年前に100才の祝いがあった時の写真も当ブログにありました
 各地で所在不明の高齢者が問題になっていますが、我が地区では所在のかめない方はゼロです。昔ながらのコミュニティが残っているのですね。皆さん、これからもますますお元気で。

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1997年4月 地区で葬式が続きました

 9日には部落で葬式がありました。葬式には夫婦そろって手伝いに出るのですが、浮き世の義理とはいえこれがなかなか大変。以前のように部落全体が百姓をしているなら、都合も何とかつこうものですが、若い人の半数以上はサラリーマンとなっている現在では無理もありません。以前は友引が入ったりすると三日間は「ヒマ暮らし」をしていたのですが、最近では一日半となりました。これも時代の流れでしょう。
 田舎は葬式が多いのですが(年寄りが多いので)、一年間に2~3回もあるとこちらも葬式のエキスパートになります。この日に葬式を出した家は一年間に何と3回目でした。大きいばあさんにばあさん、じいさんが相次いで鬼門に入られたのです。まあ、年寄りが「天寿を全う」して、亡くなるのなら半分「お祭り」みたいなものですが・・・。
 「おめぇっちらの部落は清水一ちぃせぇ自治けぇー(確かに18世帯の自治会は清水市で一番小さい)なのに葬式だけはたんとあるなぁ」他の部落の人があきれていました。前回の葬式の時(昨年秋)には、18軒の中で同じ日に葬式が二軒重なるという前代未聞、これからも絶対にないだろう事態になったのです。
 でも、葬式の時には色々な話を聞くことができて興味が尽きません。
 払いの席で
「おぃらのじぃーさんの時には“ボッチャン”で有名になっただぜェ、ヤー加藤くん。」前に座っていたおじさん「おーおー、そーだっけなァ。」
私「???・・・?」
「じいさんの頃ぁー、土葬だったんて、前の日に掘った穴ン、夜にいかい雨ン降って水がたまって、仏さんを入れたら“ボッチャン”あれじゃ水葬だ、ヤー加藤クンくん。」
みんなの話はやたらにリアルで・・・。

 葬式の翌日は「静岡県立短期大学」の開講式でした。実は私はここの大学の非常勤講師を務めることになっています。半年間、毎週一回授業のたびに大学へ通うわけですが、不安半分と楽しみ半分です。授業は2年生が対象なので、教壇に立つのは来年度からですが・・・。今から色々と準備をしております。

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2010年9月12日 (日)

超ミイラ生姜

Photo  先日、天日干しの生姜を記事にしましたが、できあがると写真のようになります。なまと比べて、香りは負けますが、味は超ミイラの方が数段勝ります。栄養的にも超ミイラの方が身体によい、とか。今年の残暑を利用して、冷蔵庫に保存してある生姜スライスを全て「超ミイラ」にしました。来年は畑での生姜の植え付けを増やすこととしましょう。

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1997年4月 女子校は厳しい??

 先日(昨日)の記事で生け垣を感心した女子校は、長い髪でしばっていない髪型は認められていないらしく、毎朝駅から歩いていく女子生徒は髪を束ねながら学校へ向かっています。「校則の意味は何だろう・・・」と毎朝同じ行動をしている彼女らを見ながら思います。・・・でもなかなか壮観ですよ。ルーズソックスの女子高生の一群がみんな髪を束ねながら歩いている姿を後ろから見ているのは・・・。新入生は一目見れば分かります。ほとんどが束ねるほど髪が長くないので。彼女たちの何割かは半年もすると「歩きながら髪束ね組」にはいるのですね。

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2010年9月11日 (土)

2010年09月 新静岡センター工事進捗状況

100907  一月経ちましたら、鉄骨がずいぶんと立ち上がってきました。工事の写真は、解体中は県庁別館から撮り、更地になって地下の工事をしている時は、上から眺められるペガサートの7階から撮っていました。この写真も隣にあるペガサートからのものですが、もう入り切りませんな。

1009072 ということで、再び県庁別館から撮してみました。段々と立ち上がっていく様子が、これから見られると思いますよ。

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1997年4月 春の風景 あじさい畑を作る

 新芽が芽吹いて美しい季節でね。でも、毎日木々を見ていると、4月の一時期、2週間ぐらいで「がっ」と伸びる感じがします。通勤途中にある女子校の生け垣はきれいに手入れがしてありますが、そんな時期に仕事を土日と休んで(何と半年ぶり!)3日ぶりに木々を見ると驚くほどに伸びています。新芽は色が違うのでなおさら目立つのですが・・・。
 木といえば、6日の日曜日は大雨の中でアジサイを2000本とさつきを100本植えました。我が家の近所の人が県道に面している山の斜面に何かを植えてきれいにしたい、と考えて実施したものです。「なかなか楽しい計画じゃないか!!」と賛同した地域の人たちが約50人協力しました(炊き出しの女衆も含めて)。来年には美しい花が見られるでしょう。梅雨の季節に皆様もおいでくださいませませ。

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2010年9月10日 (金)

傷ついたケヤキさま

100904  JR静岡駅北口に大きなケヤキがあります。冬には電飾で飾られ、駅のシンボル的存在です。
 もともとは富士山麓からはるばる運ばれてきたものとか。当時からでかい木だったので、深夜交通量が減った国道を超特大トレーラーでそろそろと運ばれてきたのだとか。
 そのケヤキの木、枝の先の葉っぱは落ちて、一時の元気がありません。聞くところによると、近年完成した近くの地下駐車場で水脈がかわったのが原因とか。人間の都合が原因で枯れてきたのなら、人間の手で回復の道筋をつけてもらいたいです。

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1996年10月 読書感 壇 沢木耕太郎著

「壇」読後記
 私小説は残酷である。
 小説の多くが作家の体験やその他の事象をベースにしたり、参考にしたりして成り立っているが、私小説は100%それが基本である。
 作家は自分のことをどう書くであろうか。美化するだろうか、卑下するだろうか・・・いずれにしても書くのは「自分」である。どう書こうと自己責任だ。一番悲惨なのは作家以外の登場人物、「書かれる人」である。全ては作家の筆に価値を委ねているわけで、書かれてしまえばそれでおしまい。事実と違っていてもそれを正すのは容易ではない。「書かれる人」は圧倒的に無力なのである。
 沢木は「書かれる側」にこだわっている。彼は「市井の人はインタビューなど迷惑なものだ」と以前から考えている。彼がルポルタージュを書くとき必要なのは取材であり、インタビューである。かなり屈折した精神で取材を続けている彼に「壇ヨソ子」の存在はとても興味があったのだろう。「書かれる側」へのシンパシイーを強く感じていたのだろう。「ヨソ子」は書かれるだけである。作品はベストセラーになったが、「書かれた側」はどんな思いでいたのか・・・。
 作品は「膨大な取材を基にシーンを組み立てて、事実に近づいていく」という彼の手法がそのままとられている。しかし今までは短編が殆どだった。長編として発表されたものは「深夜特急」でも「一瞬の夏」でも主人公は沢木自身で、彼が状況の中へは入っていき、自分で体験したこと、見たことを書いていた。長編、「テロルの決算」は当時の社会党書記長を刺した「山口」を主人公にしてはいるが、事件そのものへのアプローチが大きな比重を占めていた。
 主人公は一人称で登場する。「ヨソ子」が語る形である。当然膨大な量のインタビューがその裏には存在する。彼が今までこだわっていた「書かれる側」の代表格(?)を対象として、自分の方法論の全てをつぎ込んだこの作品は沢木の一つの到達点であろう。
 僕自身は内容に一つの楽しみを持っていた。「火宅の人」を読んだ者として「どうしてヨソ子は離婚しなかったのか?」という疑問への回答である。しかし、読んでみてやはり「ワカンナイ」であった。環境も含めて、大正女性の性であろうか。現在なら、僕のカミさんなら、「事を起こした」と告げた瞬間に家を出ていくのは同じだろうが、「僕が悪かった。猛省します。」とかなんとか言って大騒ぎしなければ家に帰ってこないだろう(大騒ぎしても帰ってくるかな?)。少なくとも山の上ホテルで一緒に暮らしていれば、結論は「離婚」しかない。それ以外には考えられないはずだ。あみんの「私待つわ~」じゃあるまいし、どのような精神状況なのか。ン~ワカンナイ。

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2010年9月 9日 (木)

無料で楽しむ方法

 この一ヶ月あまりの間に、落語を2回と映画を1本見ました。全てただで。実は、 知り合いの方が、このような無料で見られる企画を調べては、せっせと私の名前でも応募葉書を出してくれているのです。何とも奇特な方ですな。しかし、感謝感謝です。
 映画は「剣岳」でした。昔、新田次郎が書いた原作を読んでいましたので、見てみたい映画でした。評判通り美しく、人間の挑戦する姿が迫力を持って描かれていました。しかし、心理描写は、映画では上映時間の制約があるせいでしょうか、原作の「小説」の方が勝っている感じでした。いずれにしても、よい時間をありがとうございました。
Image1040_3

 パルちゃんの耳を伸ばしてみました。迷惑そうな顔をしていますな。ごめんね。

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1996年4月 私のパソコン利用法

 今、自分の仕事(手話関係の仕事)はパソコンでしています。職場では、ワープロ機を一台占有して仕事をしています。パソコンとワープロ機と両方使ってみて、やはりパソコンの便利さを痛感します。
 第一にハードディスクの有無の点があります。使い始めた頃は、ハードディスクもフロッピーディスクもファイルを保存する役割も同じだし、どっちでも変わらないと考えていました。確かに読み込み速度はハードディスクの方が速いかな、それぐらいの差しか気づきませんでした。ところが書いた文章が増えてきて、項目別にフロッピーを分けていたのですが、管理がだんだんと大変になってきたのです。具体的には、パソコンには「検索」という機能があります。これはパソコンだからできる仕事で人間には真似ができません。例えば文庫本十冊分の文章の中から、「パソコン」という単語を全部拾い出すことは人間が行うととんでもない労力となりますが、パソコンはそれを瞬時にやってしまいます。文章を書いていると自分が前に書いたものなどを参照するのですが、フロッピーが増えてくるとそれが面倒になってきます。ところがハードディスクは容量が大きいので(フロッピーの百倍は軽くあります)、そこに文書を全部記憶でき、検索がすぐに行えます。ちなみに、日本語一字を記憶するのに2バイト必要だそうで、フロッピー1枚で原稿用紙約1500枚、僕のパソコンは約30万枚記憶できます(実際にはハードディスクの中に各種のソフトが入っているので現在僕のパソコンが記憶できるのは原稿用紙で約13万枚分)。また、ノートパソコンなどの場合、自宅以外で使うことが多いのですがフロッピーを何枚も持って行くのでは大変です。ハードディスクにデータが入っていればパソコン本体だけでOKです。ワープロ機にはこのハードディスクがありません。これが先ず決定的な差です。
 次に、パソコンの機能の多彩さがあります。ワープロの機械も最近では様々な機能がついてきましたが、それでもパソコンにはかないません。パソコンはソフトを記憶させることで機能が増えるのですが、自分の仕事にあったソフトを入れることで仕事は快適に行えます。加えて、データをソフト間でやりとりができるのでさらに便利です(ソフト間でデータのやりとりができないと機能がいくら充実しても意味がありません。いちいち紙に印刷したり、また打ち込んだりしてはミスも増えます)。
 そして、ワープロ機の基本にも関わることなのですが、仕事の中で印刷機がどれぐらい必要なのかと言う点です。僕は今サブノートパソコンを使っています。これは大きさはB5より少し大きいぐらいで、重さは約2キログラムです。それを職場で使い、自宅で使い、途中の喫茶店でも使い、研修があれば大阪にも持って行き、といった具合です。その中で印刷をする時間はとても短いのです。その短い時間のためにいつも印刷機は必要ありません。自宅で印刷機が使えればそれだけで十分です。ワープロ機には印刷機がついているのでそれだけ重く、持ち運びは不便です。
 それとノートパソコンには「レジウム機能」があり、電源を入れたときにその前に切った状態のままで画面が出ます。この機能は10分だけパソコンを使いたいときにとても有効で、外で使うときには真価を発揮します。
 具体的な私のパソコンの使い方は、文章はエディターで書いています。初めの頃は「一太郎」のソフトを使っていたのですが、スピードの速さなどでエディターは快適で、今では打ち込みはエディターが専門です。一太郎の優れている点は、辞書機能が分かれていることで、エディターを使っていても辞書は今までの一太郎のを使えます(辞書は使い込むほど使いやすくなりますのでこれは便利です)。印刷は一太郎でするか、フロッピーに落として、ワープロ機を使っています(印刷速度はワープロ機の方が速い)。また、エディターで作った文章を必要に応じて一太郎で修正したりもします(エディターでは罫線を引いたり編集がうまくできない)。数字のデータを扱うときはロータスを使っています。こちらはあまり使うことが少ないのですが、打ち込んだデータが瞬時にきれいなグラフになるのはいつ見ても感動します。
 ・・・といったわけでこれからもパソコンで書きます。

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2010年9月 8日 (水)

久々の雨

 「雨が欲しい」と言いましたら、台風がやってきました。恵みの雨でもあります。本当は、今日から茅ヶ崎の実家へ行く1009予定でしたが、しっかり台風とぶつかってしまい、延期する羽目になってしまいました。今までお天気よかったのに、よりによってこんな時に荒れるのですな。まぁ、仕方ないですが。また、折を見て日程調整をするとしましょう。
 写真は興津川のアシです。
7月に「興津川は葦の天国」と記事にしましたが、同じ場所からの写真です。

 話し変わって、当ブログを開設する前に、同人誌などへ投稿していた原稿で、電子化されていたものを公開するブログを新設しました。一番上の説明文の所にリンクがあります。たかが、十年ぐらい前ですが、だいぶ背景が違いますね。残っていた、1996年からの原稿をボチボチあげていきますので、ご 笑覧ください。

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1996年9月 台風の被害

 大きな台風でした。
 我が家の前の山は、木が同じ方向になぎ倒されています。猛烈な風が吹いた証拠ですね。
 昨年も強い台風が来ました。その時も木が倒され、がけが崩れ、大変な被害でしたが、今回も同程度の被害状況です。いや、昨年より悪いかもしれない・・・。
 約30年たった植林(杉や檜)は一見すると背も高いし、結構見事です。ところがその頃が一番弱いそうです。杉や檜は根が地中深く張りづらく、地表に近いところでモサモサとしているのです。植林して20年・30年たつと以前生えていた(植林に際して切ってしまった)雑木の根も枯れて植林の根も十分ではなく、地表が一番弱い状態にあるそうです。
 加えて、山には手がほとんど入っていません。間伐などがしっかりしていれば木も十分に育っているのでしょうが、それもなおざりになっているのでひょろひょろの木が多く、成長は十分ではありません。根の成長も比例しています。
 そこへ昨年の台風です。風がもろに当たったところは木が倒れ、無惨な山肌になってしまいました。倒された木々は全部処分されるでもなく、そのままでした。
 「コリャー毎年台風がくると、さらにひどくなるな。」と感じていましたが現実となったのです。今年の台風の被害は、昨年のそれがあって何倍もの結果となったのです。遠くの山肌で広い範囲にわたって木々が倒されているのを見ると言い様のない恐怖感があります。あそこもそのままにされるのでしょう。道も開いていないし・・・。それが将来の被害を倍加させるのです。
 今回の台風は、天気予報等で見ていると静岡県を暴風雨域がかすめた感じでしたが、まともに来ていたらもっとひどくなっていたことでしょう。
 山崩れもひどいものがあります。私が毎日通る道も、上の山が崩れて通行止めとなりました。昨年の台風で崩れて、砂防工事をしたのですが、素人目にも「他のところが崩れるな。」。これも現実となりました。2年前までは杉林の中を通る、少し暗い道だったのですが、通行止めが解除されて通ると、覆い被さる木々はきれいになくなり、明るい道となってしまいました。
 今後は少しの雨でも崩れるでしょう。台風が来ると、道そのものが無くなるのではないでしょうか。

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2010年9月 7日 (火)

雨が欲しいぃぃぃ~

100901_2  9月に入っても毎日暑い日が続いています。おかげで畑はカラカラ。水をくれても、すぐに乾いてしまい、里芋もおじぎをしています。さらに乾燥すると葉っぱが茶色く焼けてきます。里芋もショウガも、今ある畑の作物は水を欲しがる方が多いので、芝生で使うスプリンクラーを買ってきて、脚立の上から水をまいています。いつになったらまとまった雨が降るのかな。興津川の水位も下がってきました。今近づいている台風が恵みの雨となりますか。しかし、まとまりすぎた雨も勘弁ですが。

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2010年9月 5日 (日)

この可憐な花は何の花???

Photo_3 興津川の土手をパル散歩していて見つけました。片道2Km程度歩く中で、一つだけあります。テッセンのような葉っぱで、今、ちょうど白くかわいい花をつけています。
 草木の種類も星の数ほどあり、なかなか覚え切れませんが、また知らない花に出会いました。「名もない花」ではかわいそうですから、ご存じの方は教えてください。

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2010年9月 4日 (土)

初栗

100903  暑い暑い残暑が続いていますが、やはり季節は変わっています。先日の朝、庭で初栗を発見。今年も栗ご飯の季節になったのですね。サルと栗拾いの競争がこれから始まります。見ていると落ちた栗は一家総出で、どんどん拾いに来ます。
 サルといえば静岡県内では東部の三島市や裾野市で人がサルにかまれたりする被害が続いています。我が家のまわりでも当然サルは出ますが、人に危害までは加えません。畑は荒らしますが。三島の方のサルは何かストレスがたまっているのかな。

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2010年9月 3日 (金)

ショウガの天日干し

Photo_3  先日のNHKテレビの「ためしてガッテン」でショウガを天日干ししたものの効用をやっていました。実は我が家では一昨年にショウガを畑でコラショと作り、生で食べきれなかったものをスライスして梅酢につけて冷蔵庫に保存してありました。「これも干してみようかな」、と連日の晴天の下、試しに干して「超ミイラショウガ」をつくってみましたら、これがとても辛くてかつ梅酢の味もほどよく、とても美味いものができました。特に暑い時期の塩分補給にももってこいのようです。
 せっかくお天道さんがカンカン照っている日が続いていますので、冷蔵庫の中のを全部「ミイラショウガ」にしてしまおうかな。

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2010年9月 2日 (木)

ニラが花盛り

Photo  興津川沿いにパル散歩をしていると、今の時期、「ニラの花」も花盛りです。誰かが植えたのかな?何らかの理由で自然に出てきたのかな?よく分かりませんが、土手には結構ニョキニョキ出ています。
 今朝は時間があったので指で折れるところから摘んできて、我が家玉子と共に料理してみましたら、美味しい玉子とじになりました。つぼみだと上から10cmぐらいのところで折れますが、花が咲いていると5cmのところで折れます。花が咲くと、茎も硬く、筋っぽくなるのでしょうね。お花はまだまだ出ていますので、この時期、時々やってみましょう。

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2010年9月 1日 (水)

二百十日

 今日は二百十日です。台風の当たり日で、稲作農家にとっては、気になる日です。
 私の家のまわりでは、今年は蜂が低い位置に巣を作っています。これは台風の影響を考慮した行動、といわれています。要は、今年は台風の被害があるぞ、ということですな。今のところはないですが、今後注意した方がよいのでしょう。
 今現在は・・・残暑が厳しいです。雨もしばらく降っていないので、畑は雨を待っています。しかし、天気予報では当分降りそうもありません。なかなかうまくはいきません。できる範囲で水まきの必要な日々か続くようです。

 写真は静岡県庁前の静岡地震で倒壊した石垣現場。Image997 復旧工事が進んでいます。

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