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2010年10月 9日 (土)

1998年2月 清水のお山 1

 ミカントラストファームは今シーズン、大豊作でした。摘花もせずにあれぐらいよいタマがつくのならとても楽ですね。でもこんなことは何年かに一回で、やはり簡単にはいきません。それにしても日曜日のミカン山は沢山人がいます。ほとんどの農家が休日百姓なので、農作業が休日に集中し、農道が混雑してにぎわうわけです。
 「清水」といえば「ミカン」と連想される(た?)くらい、ミカンは清水の代表的な農産物でした。
 当時、古き良き時代にはみかん農家は威勢がよくて、「ミカン農家は一冬で倉が建つ」とか「雨降りには皆、農協で酒を飲んでいる」とか言われ、鼻息も荒かったようです。事実、「ビク(ミカンを切るときに腰につけるカゴ)一杯で男一日の費用がでる」ほどにミカンが高かったのですから、当然でしょう。・・・今考えれば、あの30分も切れば一杯になるカゴ一つで約1万円になったのですね・・・これはすごい!!ミカンで儲けた金で、伊豆や遠州に山を買って、通いながらそちらでもミカンなどを作っていた農家も多く、金回りが良ければ色々な悲喜劇もあったようです。ちょっとしたゴールドラッシュ状態だったのでしょうね。
 また、当時の有名な風景として「いどうはん」というのがあったそうで、「移動班」とでも漢字を当てるのでしょうか、ミカン切りの時期、東北や北陸から農民が泊まり込みで各農家に応援にきていたのです。そのままこちらに居ついて結婚された方もかなりいるようで、「清水に行けばいくらでも好きなだけミカンが食える、といわれて清水に来た」と、そんな一人から聞いたこともあります。
 我が両河内でも「3月になると甘くなるミカン(年末や正月には酸っぱくて食えない)」を山の上の方でたくさん作っていました(山の下の方では気候の関係でミカンができない)。家から1時間以上も歩いたところで作っていたのです。今でも山の上には当時のミカンの木が、ツルが絡まりぼうぼうの草や木に囲まれて残っています。 昭和40年代の前半にミカンの大暴落があり、全ては夢の話になってしまい、その後はオレンジの輸入自由化など、ミカン農家にとってまさに泣きっ面に蜂の時代になりました。価格低下から生産調整、減反とお決まりのコースをたどり、「上の段に立って下の段にあるミカンを切る」(小島部落のミカン山の形容)ような急斜面ではミカン以外に作るものもなく、後継者もいなくなりました。
 そんな経過の清水の山をねらってやってきたのは「開発」です。ゴルフ場・第二東名高速道路・中部横断道路・野球場・等々などナド・・・ぞろぞろ出てきています。何回かにわけて、書いていきましょう。
 トラストファームのミカン切りが終わった日、山を見上げるとミカンがありません(あたりまえ!)。山にミカンがあるとオレンジの電気がついているようで斜面が暖かい感じがありますが、ミカンを切り終えると電気がなくなり本当に寒々とします。冬を追実感する一瞬です。

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