« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月29日 (土)

今シーズンの最低気温??

Photo  寒い日が続いています。先日の朝はマイナス6度を下回りました。多分これが一番の最低気温となるでしょうか。
 今年はこの寒さのためか、私の両耳たぶにシモヤケができてしまいました。なんだか、子ども時代になってから以来でしょうか。早朝のパル散歩が原因かな。それ以降、スキーの耳当てをして散歩に出るようにしています。今はかさぶた状態であります。しかし寒い。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年1月28日 (金)

両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」その2

 その昔、江尻という所では、毎年相撲大会が盛んに行われていました。
 五人負かすと優勝商品がもらえる、一番強い人を決める取り組みが始まっていました。
 一人の力の強い大男が四人目を負かして、まわりを睨みつけ、「誰か出る者はおらんか。俺の強いのにビックリしたか。みんな弱虫だのう。」と威張って馬鹿にしていました。
 いくら馬鹿にされても、あまりに強すぎるので、大勢の人たちは恐れて、誰一人向かっていこうとする者はありません。
 係の人も大声で、「誰か、次に出る人はいませんか。」と盛んに呼びかけていましたが、どうしても挑戦しようとする人はいません。
 仕方なく、四人負かしたところで優勝商品を渡そうとしました。
 ちょうどその時、作右衛門が通りかかりました。前から、作右衛門の力の強いことを知っていたので、みんな拍手をして大喜び。「出るのは、いやだなぁ。」と言っていた作右衛門をヤンヤヤンヤと無理に土俵へ押し上げました。
 「そんじゃぁ、やろうかい。」と言って、作右衛門はゆうゆうと着物を脱ぎましたが、「あっ、そうだ、相撲を取るにはマワシがいるわい。マワシをとってくる間、チョックシ待ってておくんな。」
 作右衛門は土俵を降りて、近くの竹藪に入り、片手で一本の太い竹を引き抜いて、ギュウと握りしめると、竹はバリバリと細かく割れてしまいました。
 それを腰にぐるぐる巻きつけて、「さぁ、やろうかい。」と作右衛門が土俵に上がった時にはさっきまで威張っていた大男は、作右衛門の力の強さにビックリして、逃げてしまい、姿がありませんでした。

 両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」 その1

 両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」 その3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月27日 (木)

鳥インフルエンザの脅威再び

Photo  鳥インフルエンザが全国的に広まってきたようです。昨日は静岡県に隣接する愛知県豊橋市でも発生しました。
 我が家では無理な多頭飼いはしていませんので、病気には強い環境だとは思いますが、やはりニュースには敏感になります。
 写真は昨秋に我が家に来たちゃぼの仲間、鶉尾(うずらお)です。尾羽がなくて、全体的に丸い感じのかわいい鳥です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月24日 (月)

両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」その1

 西河内の一番奥の大平という所に。作右衛門という人が住んでいました。
 ものすごく大きな男の人で、肩や胸や腕の筋肉が盛り上がり、その大きな胸にはお乳が四つもあって、普通の人の倍ありました。村の人たちは、その身体を見て、二人分の身体が一つになった、すごい力持ちの人だと、褒めたり、怖がったりしていました。

 作右衛門はある日、庵原の杉山という部落を通りかかりました。
 ふと見ると、一つの大きな石の回りに、5~6人の力の強そうな大人の人たちが集まってガヤガヤと相談していました。
 「何だろう?」と作右衛門がのぞき込むと、大きな石碑をどこかに運ぶために、皆で持ち上げようとしているのですが、あまりに重くて持ち上がりません。
 「何だ、おまえらは意気地がねぇだの、俺なら一人でこんな石の一つや二つ、軽く運んでみせるわい。」そう言って、スタコラ通り過ぎると、それを聞いた男の人たちは大変怒って、「おまえがそんなでかい口をたたくなら、この石を興津まで運んでみろ。」と言って、一人では運べるはずがないと思って、作右衛門を困らせてやろうと思いました。
 作右衛門はニヤッと笑って、「ほいきた、おやすいご用じゃ。」
 皆がどうするか、とジッと見つめていると、作右衛門はヒョイと軽そうに石碑を背負って、スタコラ歩き出しました。
 通りの家の人たちはみんな飛び出してきて、作右衛門の力の強いのにびっくり。
 そのうちに、作右衛門は鼻歌を唄いながら大きな石碑を興津まで運んでしまいました。興津の人たちもびっくり。こんな力の強い人は見たこともない。
「是非、名前を聞かせてください。運んでくれたお礼に石碑に名前を彫らせましょう。」と言いましたが、作右衛門は、「こんな簡単な仕事で、ワシの名前を石碑に彫るなど、とんでもねぇこった。」と言い、聞き入れません。仕方がないので石碑の底に作右衛門の名前を彫ることでようやく承知したということです。Photo
 今でもこの石碑は興津の甲州道の入り口に建っています。本当に石碑の底に作右衛門の名前があるかどうかわかりませんが、皆はあると思っています。

 写真が興津の甲州道入り口に立つ、民話の石碑です。

 両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」 その2

 両河内の民話 大平「四つ乳作右衛門」 その3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月22日 (土)

「西里」への地名変更の経緯 その2

 以前、両河内地区内の「西里」は昔、「炭焼き」部落、と呼ばれていたのを改称した、と記事にしました。その際、「西里」の名前をつけるにあたって、いろいろご指導いただいた人がいたらしい、云々・・・、と書きましたが、色々調べてみましたら、弁護士の「深沢貞雄」氏と学習院教授の「竹沢義夫」氏であることが判明しました。
 さっそくネットで調べましたら、両者とも昭和初期頃、それぞれの立場でご活躍だったようです。しかし、この「深沢」姓は西里地区に多い名字ですし、「竹沢」姓は隣の河内地区に多い名字です(私の家の地区でも17軒中8軒が竹沢性)。両者共に両河内出身で東京にて活躍していた方だったのでしょうか。両河内中学校の卒業名簿でも、そのうち閲覧させてもらおうかしら。興味は尽きません。

 「西里」へ地名変更の経緯

 写真は、その西里の河合野地区にある八雲神社です。Photo
 西里には「六社」ありますが、ここだけが八雲神社。他は全て白髭神社です。これも何故なのかな???

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年1月20日 (木)

河内の大石(安産石)の史実 その2

 河内の大石を真富士山の中腹にあった昔は「八斗石」と呼んでいたのですが、何故、「八斗」なのでしょうか?「斗」は尺貫法での体積(容積)の単位です。しかし、八斗がこの石の容量でないことは確かです。それぐらいではあまりに小さい・・・。
 と考えていましたら、古老の話として残っていました(昭和の時代に両河内中学校で高齢者に生徒が聞き取りをした資料)。それによると、
 ・・・安政の地震などで落ちてくる前、その石の平らなところに小豆を干すと、「八斗干せた」・・・、というのがいわれだそうです。
 これは大きい。現代風に言えば、灯油のポリタンク8個分の小豆が広げられたわけですから。

 また、「安産石」のいわれも、Photo_2
 ・・・岩と岩の間の狭い沢を流れてきた・・・、のでこの名が付いたそうです。

 写真は、その「大石発祥の地」、近くの山の斜面に あった石。こんなのがゴロゴロしている山です。

河内の大石(安産石)の史実

河内の大石、発祥の地

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月19日 (水)

西里 和田の西国供養塔

Photo  西里の和田の道路沿いにある供養塔です。いつできたのか、判別は全くできません。
 言い伝えによると、「江戸時代に村内で疫病が流行り、何人もの人が亡くなったので、各家の戸主が西国へ巡礼に出てお寺参りをして、帰ってきたところで亡くなった方の供養のために立てたもの」、とのこと。
 実は西河内筋にこのような西国供養塔など、供養塔が数多くあります。昔は疫病をはじめ、自然災害で一度に多くの方が亡くなることが多かったのでしょう。

 河内の大石が流れた、安政の地震と大雨(台風?)による土石流、それに伴って衛生状態の悪化、疫病の蔓延・・・と色々想像されます。どちらにしても江戸時代の話しでは、詳細は今となってはわかりません。供養塔に手を合わせるのみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月18日 (火)

河内の大石、発祥の地

Photo  以前、ご紹介した、「河内の大石」。安政の大地震などで真富士山の中腹から転がり落ちてきたのですが、落ちる前には、ここにありました。現在の大石の場所から、林道を30分程度歩いて上がると、「発祥の地」と記した案内が立っています。ここにどのように鎮座していたのか、全く想像できませんが、案内の立っている後ろに石沢川の支流が流れていますので、この沢を大水に乗って転がり落ちたのでしょう。想像力を求められますね。

河内の大石(安産石)の史実

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年1月16日 (日)

両河内の民話 西里伏木「藤の花」

2  昔、西河内の西里の伏木と言うところに祀ってあった氏神様の社が古くなってしまった時のこと。
「この社もだいぶ痛んできたのう。」
「氏神様もこれじゃぁ、あんまり気の毒だ。」
「村の衆をずっと見守ってくれている神様だんて、ひとつみんなで直してやるずら。」
そうして、社の修繕のために森の木を木挽きに切らせることにした。
 木挽きは境内にある一本の大きな木に斧を入れ始めた。
  コーン、コーン、コーン
 するとどうしたことか、その木に巻かさっていた藤がもう10月だというのに、たちまちに立派なつぼみを付け始めた。
    コーン、コーン、コーン
 木挽きが腕を振るう度に藤のつぼみはぐんぐん大きくなり、とうとう、斧を入れることができない程に花々が咲き乱れた。
 あまりにあたりが物凄くなってしまったので、木挽きは青くなって庄屋様のところへ駆け込んだ。
「大変だ庄屋さん。藤の花がすごくて、おらぁとっても怖くてこれ以上木は切れないだ。」
「ようし、大丈夫だ。これからわしが行って藤の花を散らしてみよう。」
そう言って庄屋様は境内へ出かけていった。なるほど藤の花が立派に咲いている。そこで庄屋様は歌を詠んだ。
 “藤咲くや 見事に咲いた 森の藤 木挽杣(そま)に 色をやるべし”
 すると不思議なことに花がみるみる間に散っていった。そうして木を切ることができ、その後も何のさわりもなかった。昔から森の木を切る時は神様に理由を言ってから切るものだと言われている。

西里伏木の白髭神社

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月15日 (土)

パラグライダーは降りちゃダメよ

101226  以前、使うつもりで整備された道路のようですが、使われずにいる所です。おまけに近くの山がパラグライダーが離陸するところですので、道路にこのような記述をするに至ったのでしょう。
 なかなかお目にかかれない風景だったもので思わずパチリ。清水区庵原町でのスナップです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月14日 (金)

寒さ真っ最中

1101_2  朝、おりている霜が日陰では溶けずに夕方を迎える日々が続いています。我が家の前の道、通称「新道」ちと言われているところも、山から滴る水が見事なつららを作っています。
 先日は我が家の下の方、土と西里の間辺りの道路がキンキンに凍ってスリップ事故が多発し、駐在さんも出張って警戒に当たる事態となりました。私も20年近く前に同様な条件の時に、ここでスリップ事故を起こした苦い経験があります。
 一年に一度か二度ぐらいこのような危ない時もあります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月13日 (木)

日当たりのよくなった我が家

1101  我が家の南側で伸び放題になっていた木を3年かかって片づけました。2008年12月に作業を始めた頃の写真と比べても、ずいぶんと清々しました。2階の屋根を軽々と超える高さでしたので、高所作業車を借りるかな、とも考えましたが、結局脚立に乗ってチェンソーを使い、切り倒しました。根元に近づくにつれて太さが増し、難儀もしましたが、ようやく一段落です。
 二階の日当たりがよくなったため、おネコたちは二階で日中は、ずーと寝たままです。全く羨ましい生活スタイルです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月12日 (水)

最近の成人式

2011  1月の旗日は成人の日ですね。今年、静岡市の成人式は実行委員会主催の集まりに参加するには1,000円の入場券を買う方法で行われました。また、企画が終わって残金は寄付することになっている、とのこと。自腹を切って成人式に出席する、とはずいぶん時代が変わったものです。
 一頃、「荒れる成人式」が問題になりましたが、最近ではそれも過去の話となった感もあります。時の移り変わりですな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月11日 (火)

2011年1月新静岡センター工事進捗状況

110108  正月があけても、工事は続いています。外側のシートの様子は変わりがありませんが、中では工事が進んでいることでしょう。
 2011年10月1日には完成予定ですので、あと10ヶ月。待ち遠しいですね。先ずは、早くシートがとれた姿を見たいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月10日 (月)

どんど焼き

110109_2  昨日は各地で「どんど焼き」が行われました。我が河内地域でも運動公園でやりましたが、人口も少ないので規模は小さいものです。
 たまたま、庵原地区を通りましたら、ここは毎年大規模です。庵原川の河川敷で焼くのですが、写真のような形に作って点火するのです。このりスタイルには、なんだかいわれがあるのでしょうね。街場ではたき火もできなくなってしまいましたが、盛大にどんど焼きができるのは里山の良さです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 9日 (日)

消防出初め式

110109  今日、静岡のお街に出ましたら、駿府公園で消防の出初め式をやっていました。ちょうどパーレードが始まるところでしたので眺めることに。1101092
 はしご車などの行進は大迫力ですね。この車両を見たあとだと、普段目にする消防車(2トントラックを改造したもの)がうんと小さく感じます。
 最新鋭の「特別高度救助隊」も加わっていました。通称「静岡・スーパー・レスキュPhotoー(SSR)」と呼ばれている、より高度な人命救助や原発や科学物質災害などのNBC災害に対応する部隊です。
 安全を守る、消防や地域の消防団に声援を送ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 8日 (土)

河内二ノ宮神社歴史探訪

Photo  先日紹介した、河内の二ノ宮神社は、その経過が結構面倒なので一度整理してみますと・・・、
①日本武尊の休んだ陣地跡に軍神を祀る
②天歴3(949)年、藤原通房が巡行の際社を再興し「大棟梁権現」と名付ける
③時移り神楽石の祠から、西方に移す(元澤1062番地)
④明治維新の際に再度社を移し(元澤1608番地)、その際、「一ノ宮神社」と改める
⑤明治41年に白髭神社と合わせ祀り「二ノ宮神社」と改称
⑥大正3(1914)年元澤の場所から現在の小向へ社を移す
・・・と「いわれ」には書いてあります。
Photo_2
 その二ノ宮神社の跡地である、(元澤1608番地)は現在では竹やぶの中。地元の方に案内してもらいましたが、石積みが僅かに残っているぐらい。ただ、社があったと思われる場所の前には石仏群が残っていました。
 今では誰も訪れない場所となってしまいましたが、次回は「一ノ宮神社」のさらに前身の神社の場所を探してみたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 7日 (金)

柏尾 光福寺

Photo  縁あって、清水区の柏尾地区にある、色々な史跡などを案内してもらう機会がありました。柏尾地区は竜爪山を越えれば西河内とつながる、高部地区の山家の部落です。
 いくつか興味深いところがありましたが、一番惹かれたのがここ、「光福寺」。この建物は県の有形文化財にもなっていまして、大正末期から昭和初期にかけて作られた、日本初期、鉄筋コンクリート建造物が地方に広がった先駆け的建物です。何故、この人里離れたところに、こんな建物ができたのか。興味は尽きません。
 まだまだ、知られていないけれどおもしろいことがあちこちに転がっているのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 5日 (水)

河内 弁慶の足跡

101225  我が家から歩いていける範囲にも史跡というか、感心するものがいくつかあります。先日紹介した「河内の大石」のすぐ近くにある、「弁慶の足跡」もその一つ。案内も何も出ていないので、はっきり言って地元の人以外は誰も知らないのではないかな。
 弁慶の足跡は4m×2.5mぐらいの石の上にちょうど右足の形でくぼみがついています。一説によると左足の足跡は安倍奥にあるとか。それは確認したことがありませんが、あるなら見てみたいですね。
Photo 

 足跡の上に石碑があります。拡大すると右の写真のようになりますが、何が書いてあるかほとんど見えません。が、調べてみると、中央に「弁慶霊神」、右上に「奉 明治十年」、左下に「癸未 三月吉日」改行して「當村安全」、とあります。村の安全を願って石碑は作られていたのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 4日 (火)

野菜泥棒が横行

Photo  野菜泥棒が横行しているようです。我が家の周りの話しではなく、茅ヶ崎の実家周辺です。野菜泥棒、と言ってもキュウリを2~3本とっていくのではなく、収穫直前のものを根こそぎ盗んでいく悪質なもののようです。
 聞けば、今までになかったことだそうで、これも不況が影響していることなのでしょうか。何とも正月そうそう世知辛い世相を見てしまいました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月 3日 (月)

足柄の水

Photo_2  茅ヶ崎の実家へ帰る際、東名高速を使って、いつも足柄サービスエリアに寄ります。ちょうど半分ぐらいの距離でもあり、パル姫の退屈しのぎに散歩もできるのでグッドです。この正月に寄ったらドックランがサービスエリア内に新しくできていて、びっくりしました。犬を連れて車で移動する方が多いのですね(私も含めて)。
 また、ここには「足柄の水」として、200mの深さからとった水が出ていて、茅ヶ崎への土産として、ペットボトルに入れたりしています。いつも上り線で寄りますが、下り線にもあるのかな?ちょっと不明ですが、上り線を使う場合にはお勧めの場所です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年1月 2日 (日)

河内二ノ宮神社 史実

Photo  我が河内の氏神様がこの「二ノ宮神社」です。正月には地元の参拝者が多く、地区持ち回りで甘酒などをふるまったりしています。その神社の由来をひもときますと・・・。

 景行天皇が、子の日本武尊を東国の蝦夷征伐に遣わした際、尊が休んだ場所が現在の二宮神社から興津川をはさんで反対側(河内元澤)にあり(神楽石)、そこに軍神を祀ったのが最初、とのこと(慶長11(1606)年の社伝による)。
 その後、天歴3(949)年に再興され、元澤から現在の地である小向(こむかい)に移ったのは大正3(1914)年、となっています。
 名前の由来は、元々は「一ノ宮神社」であったのが、白髭神社と明治41(1908)年に合わせ祀った際に改称したそうです。

河内二ノ宮神社歴史探訪

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »