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2011年1月20日 (木)

河内の大石(安産石)の史実 その2

 河内の大石を真富士山の中腹にあった昔は「八斗石」と呼んでいたのですが、何故、「八斗」なのでしょうか?「斗」は尺貫法での体積(容積)の単位です。しかし、八斗がこの石の容量でないことは確かです。それぐらいではあまりに小さい・・・。
 と考えていましたら、古老の話として残っていました(昭和の時代に両河内中学校で高齢者に生徒が聞き取りをした資料)。それによると、
 ・・・安政の地震などで落ちてくる前、その石の平らなところに小豆を干すと、「八斗干せた」・・・、というのがいわれだそうです。
 これは大きい。現代風に言えば、灯油のポリタンク8個分の小豆が広げられたわけですから。

 また、「安産石」のいわれも、Photo_2
 ・・・岩と岩の間の狭い沢を流れてきた・・・、のでこの名が付いたそうです。

 写真は、その「大石発祥の地」、近くの山の斜面に あった石。こんなのがゴロゴロしている山です。

河内の大石(安産石)の史実

河内の大石、発祥の地

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