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2011年3月19日 (土)

梶原景時史跡めぐり その1 清見関1

 梶原景時って名前はご存じですか?鎌倉時代の武士です。源頼朝の死後に鎌倉を追われて、清水区(当時の「高部の庄」)で命を落とした武士です。古くは、大悪人として評価されていましたが、今ではそのような評価はなくなっています。その辺りの詳細はウィキペディアの「梶原景時」のページをご覧ください。
 この梶原景時と高部地区を中心とした清水区の史跡を発表する機会がありました。その時に使った原稿を読み切りの形に編集し直して、少しずつ当ブログで紹介していきましょう。

 先ず、興Photo津清見寺の下、国道脇に「清見カ関跡」の碑が立っています。左の写真は興津清見寺。この写真の右の方に碑があります。
 鎌倉を脱して西に向かった景時を襲う合戦はここで始まりました。Photo_2ここは清見寺山が海(駿河湾)に迫った所で、ここを通る東海道と平行する脇道はなく、むかし関所があったというのもうなずける地勢です。脇道は今でもほとんどなく、先日の東北大震災で大津波警報が出され、国道が通行止めになった際にもお手上げ状態でした。

 梶原景時史跡めぐり その2

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コメント

確かに興津のあたりはボトルネックですね。しかし、昔は刀が支配する世の中だったんですね。

投稿: ぺっくんG | 2011年3月20日 (日) 10時29分

ぺっくんG さま

 薩多峠辺りはボトルネックとして有名ですが、昭和30年代までは興津のここいらも同じ環境だったのです。それがよくわかる写真も色々ありました。そのうちまた紹介しますね。

投稿: ももたろう | 2011年3月21日 (月) 09時08分

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