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2011年4月 8日 (金)

梶原景時史跡めぐり その10 景時親子終焉の地

Photo_4  それから、親子三人は山頂の林の中の草の上へ静かに座りました。景時は矢立を取り出して、
「もののふ(武士)の かくこ(覚悟)もかかる 時にこそ 心の知らぬ 名のみおしけれ」
と辞世の句をしたため自害します。享年は、生誕の年が判明しませんが、61才といわれています。
 その後、この山は梶原山と言われるようになり、現在でもそう呼ばれています。山頂には供養碑などが立ち、駿河湾の眺めがすばらしい(特に夜景?)、観光スポットとなっています。
 
2120 景時が没した正治2年は西暦では1200年ですが、1月20日当日の月齢はこのようになっています。景時は、こんな月を眺めて自害したのでしょうか。

 梶原景時史跡めぐり その9

 梶原景時史跡めぐり その11

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