12月31日は蕎麦打ち
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20代の頃、横浜での年越しは、「午前零時になると船が一斉に汽笛を鳴らして、とてもステキである」と聞き、行ったことがありました。
この写真の氷川丸が見える山下公園へ行ったのですが、すごい人波で、おまけに爆竹がところかまわず鳴っていました。それも午前零時近くなると、更に激しさを増して、公園内の放送で警察や華僑の幹部が、「やめなさい」と言い続けても全くお構いなし状態。四方八方、遠くに近くに爆竹が鳴り続け、山下公園は一面に硝煙が漂い、硫黄のにおいがものすごく、戦場のまっただ中にいるようでした。
さすがに中国人の年越し。今でも続いているのかな。ちなみに午前零時の汽笛は、正直言ってあまり覚えていません。爆竹の騒ぎがあまりにも強烈でした。
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昔、中河内の神沢原の村に玉泉寺というお寺があった。そこには、真っ黒にお地蔵様がご本尊として祀られていた。
ある時、お寺にやってきた村の衆が、このお地蔵様を見ながら、
「いつ見ても、本当に真っ黒だのう。」
「こんななりじゃぁ、お地蔵さんもいやじゃろう。」
「ご利益もなさそうだ。」
と言っていた。そのうちに、
「そうじゃ。前の川へ持って行ってぴかぴかにしてやるら。」
と、話になった。
大人の膝小僧ぐらいのお地蔵様を一人の村のものが軽々と担ぎ上げて、前の川へと運んで行った。そして、川の中へざぶんと入れた。村の衆はみんなでお地蔵様をごしごしと洗い始めた。 ところが洗っても洗ってもちっともきれいにならない。
「こんだけ洗ってもきれいにならんのなら、しょぅんない。もう寺へ持って行くか。」
村の衆はお地蔵様を寺へ持って帰ることにした。ところが、お地蔵様を水の中から持ち上げようとすると、どうしたことかびくともしなた。みんなでかわるがわる持とうとしたが、根が生えたように動かない。
「わしらが、あんまり粗末にするんで、お地蔵さんが怒ったずらか。」
みんなは玉泉寺の和尚さんに知らせに走った。
和尚様は川へとやって来るとお経を唱え始めた。そしてみんなもお地蔵様に謝った。
「どうか堪忍してくだせぇ。わしら悪気があったわけではないだで。」
お経が終わってお地蔵様を持ち上げようとすると、今度はふわりと持ち上がった。村の衆はびっくりして、それからますます大事に祀ったそうな。
このお地蔵様は弘法大師の作と伝えられ、玉泉寺が廃寺となった後、中河内の木山野の宝樹寺に引き取られ、今も大事に祀られている。また、同じ言い伝えがあるお地蔵様がもう一体、和田島の蔵珠寺にも祀られている。
写真が宝樹寺の黒地蔵。今でも毎日、お水とご飯が供えられています。
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最近気になっていた出来事あります。静岡県の川根本町で町内全世帯へ光通信の環境を実現しようとして、それが頓挫した話しです。
自宅でネットにつながることが町場では当たり前のことになっていますが、山間部ではまだ「つながらないのが当たり前」なのです。我が地区でもそれは同じで、電話回線は光はおろかADSLも来ていません。信じられないことにISDNでネットを使っている世帯が多くあるのです(他に方法がないので)。
今、仕事をする時にこれではお話しになりません。川根本町で、「この問題を何とかしよう」と考えたのは当然だと思います。しかし、結局は過大な財政負担が無駄ではないのか、との意見が多数を占めたことになります。
ネットは、使ったことのない人に言葉で便利さを理解してもらうのはとても難しいですね。正直言って、川根本町の方々はネットを使ったことのない人の割合が多いことでしょう。川根本町出身で今は町で暮らしている方の意見も取り入れたなら、結果は違っていたかも知れません(「住民投票」にはなりませんが)。
やはり、この問題は町場と同程度のネットを使えるためには、地元の行政や個人が多大な負担をしないと実現できないところが最大の原因です。この状況が続けば山間部はさらに過疎化が進むことになるでしょう。
次なる不幸は、住民投票で決定しなければならなかったこと。我が両河内で同様な投票をしたら、同じ結果になるような気がします。早く町場と同じネット環境が実現できるように国や県レベルでの支援を願いたいところです。
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クリスマスが近づけばどこもイルミネーションがきれいです。セノバにもクリスマスツリーが登場。2008年に撮った、以前の新静岡センター時代のクリスマスツリーと比べて一まわり成長したような??
クリスマスツリーを見るとウキウキする私でした。
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合併前の清水市で巨木に指定された、大通院の大銀杏。見事に紅葉しました。以前に初夏に撮った写真とも比べてみてください。
紅葉がいっぱい、と喜んだのもつかの間、雨と木枯らしで数日も経たないうちにほとんどの葉は落ちてしまいました。一瞬の美しい風景でした。
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先日、河内の史跡などを巡ったオリエンテーションを行いましたが、その際にポイントとしたところで、まだ当ブログで紹介していないところを載せてみましょう。
最初に奥の沢にある「稲荷神社」。「おいなりさん」と地元では呼ばれていますが、正式名称は「稲荷大明神」。西河内すじには「白髭神社」が一番多くあります。西河内だけでなく、両河内全体で見ても稲荷神社はここだけ。どうしてできたのでしょうね。経過もわかりませんし、色々調べてみましたが、できた年代も不明です。
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台風15号で西河内小学校のメタセコイアはたくさんの枝が落ちてしまいました。それでも残った枝は黄色く色づいています。ここは葉っぱが薄くて何となく淋しい紅葉ですが、今年は仕方ないですね。真富士山をバックに西河内の美しい、私の好きな風景でもあります。
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11月30日午前零時頃東名高速道路の蒲原トンネル内で事故があり、東名上り線の清水富士間が、同日の昼過ぎまで、12時間以上通行止めとなりました。
この区間は、よく通行止めとなります。台風などで高波が押し寄せると真っ先に止まることは、全国ニュースでも映像が流れるので有名ですが(由比ので下り線)、それ以外にも特にトンネル内の事故が何故か多発する区間です。
インター閉鎖になると、車は全部インターから降ろされますので、一般国道を始め付近の道路はどこも車であふれかえります。この日も清水区内では上り線を中心にどの道も大渋滞でした。新東名を作ることへの共感が高まるわけです。
写真は清水インター閉鎖で降ろされる車の渋滞。「全く、しょうがねぇなぁ」との声がどの車からも聞こえてくるようです。
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先日、仕事で静岡県のコンベンションアーツセンター「グランシップ」へ行きましたら、目的とは違う部屋で静岡県主催の「富士山百人一首」の紹介をしていました。これは色々な作家の富士山を詠んだ歌を集めたもので、誰もが知っている山部赤人の「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 不二の高嶺に 雪は降りける」から、俵万智のサラダ記念日に収録されている「砂浜を 歩きながらの 口づけを 午後五時半の 富士が見ている」まで、古今の歌があり、それぞれの掛け軸を眺めていたら、1時間以上楽しんでしまいました。
富士の雄大さと恋の歌が多いですね。全ての歌に興味のある方は上下のリンクからご覧下さい。私が特に気に入ったのは、「万国の 博覧会に もち出せば 一等賞を 取らん不尽山」正岡子規。何と子どものような素直な即物的な表現でしょう。
全く気分は「うつくしき この曙と 富士と吾と 国土おなじう 生まれつる幸」(九条武子)ですね。
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