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「全通研サマーフォーラムinみえ」の村岡恵理さんによる記念講演を聞き、興味深かったエピソード。 村岡花子が給費生として女学校に通っていた時、給費生は学費が免除されるかわりに、「孤児院」で日曜学校の教師をしていて、その際に「さの(佐野)きみ」という名前の女の子がいた。その子が唱歌「赤い靴はいてた女の子」のモデルだったという。 しかし、実際は船に乗る前に吐血して、異国へは行かず9歳で亡くなられたそうです。あの唱歌は野口雨情が、その実話ではあまりに悲しいので、ファンタジーチックに脚色したそうな。どちらにしても明治時代を背景とした悲しい話ですね。
投稿者 ももたろう 時刻 20時00分 手話の活動に関して | 固定リンク Tweet
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