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2018年5月18日 (金)

静岡県手話言語条例制定の過程で

 今年2月議会で静岡県手話言語条例が制定されました。その際に私が事務局員をしている静岡県手話通訳問題研究会の会報に寄稿した文です。

 静岡県手話言語条例制定に関わった経験を今回はお話ししましょう。
 言語条例プロジェクト委員との会合や参考人として県議会へ呼ばれた際に、県議会の複数の議員から何度か同じ質問をされました。それは、「スマホなどが普及して筆談が簡単にできる環境が整ったことと手話との関係は?(このままテクノロジーが進化し続けると、もしかしたら今後、手話は必要なくなるんじゃないの?)」という疑問です。皆さんならなんとお答えしますか?
 議員を納得させた答えは、「スマホは(日本語を使う)手段、手話は言語。言語と手段を分けて理解してください。」。

 何故、議員からこのような疑問が出されたのか私なりに分析すると、「言語とは通じること」との漠然としたイメージがあるのでしょう。「通じる」ことであれば、「言語」も「手段」もあまり関係なく通じればよいことになりますが、「言語」であればそれを使う「手段」は全く次元の違う別物で、同列には論じられません。私たち日本人は日本語以外の言語を意識することがほとんどないので、「言語とは?」とつきつめて考える経験はありません。従って、「言語」と「手段」をごっちゃにしてとらえる結果となるのでしょう。

 実は、私もこれと似た経験を今、しています。それも参考に「言語と手段の違い」を理解してください。
 実は私はあまり英語が得意でなく、特にスペルの記憶があやふやで、英語を口でしゃべるのは下手くそなりに単語を並べて、オノマトペを多用して、身振りも交えてしゃべりますが、英文を書く際には辞書が横に置いてないとまるで書けないのです。それが今ではとりあえずパコパコ打ってみてスペルチェックをかけると、たちどころに誤りを指摘してくれるようになりました。加えて翻訳ソフトも使うと、今まであまり使ったことのない言い回しなどもしたためることができます。英文を書くハードルがとても低くなり、この環境で今では週に2通ぐらいは英文で海外の友人とメールのやり取りをしています。これは私にとっては驚天動地の出来事ですが、「英語が使いやすい環境になって、日本語を使う必要性がなくなるか」と聞かれると、そんなことはありません。どれだけ英語が使いやすくなっても、「日本語がいらない」という方向には1ミリも動きません。何故か?当たり前ですよね。日本人のアイデンティティは日本語です。英語は情報を得るには便利で(例えば、世界中のホームページのテキストは英語が圧倒的に多いし)、それを使いこなせれば、どれだけありがたくて有用か理解していますが、だからと言って、「日本語を止めて英語で生活する」ことにはつながらないのです。
 便利になった「手段」と「言語」の関係をお分かりいただけたでしょうか。

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