お茶の史跡めぐり

2012年3月11日 (日)

喫茶「一茶」

120305 静岡駅で下車して地下道に入ると広場の左手にあるのがここ。静岡市内のお茶が色々飲めますし、500円で購入できます。中には静岡のお茶に関するチラシなども豊富にあります。
 ただ、注文をつけるとすると「もっと両河内のお茶を宣伝してくれぇぇぇ」。静岡市内は至る所がお茶産地なので仕方ないのかな、笑。

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2012年2月27日 (月)

世界お茶まつりグランシップ記念茶樹

120223 多分、今現在お茶の「史跡(と言えるかな)??」に中では一番新しい場所の一つ。JR東静岡駅前のコンベンションアーツセンターグランシップへ向かう所に「記念茶樹」があります。
 初めて「世界お茶まつり」が開かれた2001年に植えられました。有名な品種「ヤブキタ」を初め10種類のお茶の木があります。
 どれもほとんど変わらない感じもしますが、実は違いがあるのです。どこがって、それは実物を見てみてください。

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2012年2月19日 (日)

国師堂

Photo_2 静岡茶の祖といわれる、聖一国師ですが、功績に感謝して国師真像をここに安置して開眼の義を行ったのは昭和29年のことだそうです。
 場所は以前「ヤングランド」と言われた遊園地の中、昔は狐ヶ崎遊園地と呼ばれた遊園地の中です。
 何故、遊園地の中に??と思いますが、「ちゃっきり節」をコマーシャルソングとして作ったのが狐ヶ崎遊園地ですから、そんな関係もあるのかも知れません。また、聖一国師が初めて仏門に入った久能寺にも近い場所だからでしよう。
 今でも毎年春と秋に法要を行っているそうです。今度行ってみようかな。

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2011年9月17日 (土)

聖一国師が持ち帰ったもの

 静岡茶生みの親として知られている聖一国師ですが、他にも調べてみると当時の中国(宋)から持ち帰って日本で広まったものがいろいろあるようです。
 特にうどんやソーメンなどは、その商売の方は祀ったそうです。国師の製麺法は現在の博多ラーメンが目指しているものと同じとも言われているそうです。おもしろいところでは、博多山笠の祭りも聖一国師が始めたもの、という説もありました。
 当時(聖一国師の留学は1235年~1241年)、海外へ出た日本人は超エリートだったのでしよう。聖一国師は静岡茶だけでなく、日本の文化に大きな影響を与えた方だったの
110915ですね。

 写真は朝見た中秋の名月です。

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2011年8月22日 (月)

聖一国師の祖母? 米沢官女

Photo_2 静岡茶の祖、聖一国師の母は坂本姫、と安倍郡清沢村史にありましたが、その坂本姫の母は「米沢官女」といい、京から落ちのびてきた女性、との伝説もあります。確かに現在、聖一国師生家にお住まいの子孫も「米沢」姓でした。
 その伝説が残る静岡市葵区栃沢は名馬の産地です。源頼朝に名馬「磨墨」を献上したのが米沢官女で、その磨墨の足跡が残る石が栃沢にあります。以前リネンさんが書き込みで教えてくれたものがこれですね。
 静岡新聞の連載にも載っていたものですが、現地や付近に全く案内がなく、たまたま農家で聞いたらその家の前にありました。
 聖一国師の母と祖母の話し、本当かな?このような話しは、ロマンがあって私は好きです。

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2011年8月21日 (日)

聖一国師の母? 坂本姫

Photo 安倍郡清沢村史によると、静岡茶の祖、聖一国師は母の「坂本姫」と「御所ノ五郎丸」との間に生まれた子、となっています。御所五郎丸、といえば曾我兄弟の仇討ちの際、仇討ち後に弟の蘇我五郎丸を組み伏せて捕まえた、怪力の持ち主。
 そんな、豪傑と結ばれて聖一国師を産んだのが坂本姫。その坂本姫が顔を洗ったというところが「坂本姫の顔洗い場」。そしてこの地区を「坂本(静岡市葵区)」と呼ぶようになったそうです。
 現在の集落からかなり離れた山の中に「顔洗い場」はあります。確かにくぼみに水がわいており(オタマジャクシも泳いでいた)ますが、わざわざこんな所まで顔を洗いに来るのかな??と感じないわけではありませんでしたが、笑。

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2011年8月20日 (土)

聖一国師(しょういちこくし)生誕の家

Photo 静岡茶の祖といわれるのは「聖一国師(しょういちこくし)」です。彼が中国から持ち帰ったお茶の種を静岡の足久保に植えたのが静岡茶の初め、といわれています。
 その聖一国師が生まれた家が静岡市葵区の大川地区栃沢に残っています。堂々とした立派な家ですが、現在の御子孫に聞きますと、この家は80年ぐらい、とのこと。国師は鎌倉時代の方ですので、その頃から今私が見ている山々を眺めて生活している人がいた、と考えると日本の歴史を感じます。
 静岡市の山家の地区を「オクシズ」といって、地域おこしを色々やっていますが(私のいる両河内もオクシズの一部です)、お茶に関する史跡もいくつかあります。

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2011年6月 3日 (金)

お茶の史跡めぐり 杉山彦三郎の功績

Photo やぶきた茶を作り上げた杉山彦三郎はやぶきた茶の隆盛を知らぬままに他界しています。彼はお茶の品種改良など、全く関心のなかった時代にこつこつと一人で研究を進めていたのでした。
 そんな杉山が作り出したお茶の品種を集めたところが、県立美術館の前にあります。彼は生涯に60種以上の品種を選抜したそうですが、ここにはその内の13種があります。杉山彦三郎はすばらしい在野の研究者だったのですね。

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2011年5月29日 (日)

お茶の史跡めぐり 杉山彦三郎

Photo やぶきたた茶の品種を作ったのは杉山彦三郎という、江戸時代から昭和まで生きた一人の男によって作られます。
 彼はお茶の中に早生や晩生があることや、茶葉にもそれぞれ特徴があることに気づき、よいお茶を作るために選抜を繰り返します。そして、ある時二つの品種を藪(やぶ)の南と北に植えていたものの中から見つけて、それぞれに「やぶみなみ」、「やぶきた」の名を付けます。そのうちの北側のものの成績がよかったので「やぶきた」が一般化しました。
もし彼が逆に植えていれば「やぶみなみ」の品種名がいま広まっていたのかもしれませんね。
 写真の胸像は葵区の駿府公園内にある杉山彦三郎のものです。

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2011年5月28日 (土)

お茶の史跡めぐり やぶきた原樹

Photo_3 静岡、といえばお茶です。我が家のまわりもお茶畑がたくさんですし、静岡県にはお茶にまつわる史跡なども数多くあります。そこで新シリーズ。お茶にまつわるところを歩いてみましょう。
 第一回目は、何と言ってもお茶の品種ではこれがタントツの多さを誇る「やぶきた茶」。そのやぶきた茶の原樹が静岡県立大学の近くにあります。3mにも達するようなでかい木です。全国で作られるやぶきた茶が全てこの木から広がっているので、ここも日本の中心、といえるのでしょうか。

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