書籍・雑誌

2016年1月 6日 (水)

大岡越前と静岡大学

160105  久しぶりの書籍レビューです。しかし、この題名、「大岡越前と静岡大学」?はっ??の組み合わせですね。静岡大学(静大)は戦後出来たものだし、前身の師範学校も明治時代のもの。大岡越前は静岡県との関わりは全然知られていないし・・・。
 読んでみると・・・今の静大キャンパスは江戸時代、久能山東照宮の御神領だったのを地元農民が「開墾したい」と幕府に申し出た歴史があり、その陳情を裁決したのが大岡越前だったのです。それも「冥加金は免除する」「杉木は地元へ与える」といった、ぴっくりぽんの破格の条件付きで。これは幕府に進達した駿府代官所が示した条件をも上回る好条件。どんな思惑があったのかわかりませんが、まさに大岡裁きの面目躍如です。
 そういう広大な土地があったので、静大が最初の場所(静岡市葵区大岩本町)が手狭になり、移転先を探した際に適地として選ばれたのです。ちなみに、キャンパスは43万平方メートルとあります。40町歩以上ある!!
 静大卒業者も知らない話しではないかな。この本、静岡市議会自民党議員団で出しています。

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2014年4月 4日 (金)

静岡市自民党市議団出版物

140302 大岡越前が、今の静岡大学のある地域の開墾を許可した、との関わりを記した冊子が出された、と新聞記事があり、先日いただいてきました。発行元は「静岡市議会自民党市議団」。今までにも「オクシズ」に関わる冊子などを出しています。
 今回の冊子で、地元からの願い出に対して大岡越前がどのように対処したか、また、当時のお上の決定プロセスの一端がわかり、非常に興味深く読みました。
 自民党市議団事務局を出たところで、「フェイスブックの・・・」と声をかけられ、栗田議員とお会いしました。瞬間、私の方は思い出せず、失礼しました。

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2012年12月24日 (月)

あなたの知らない静岡県の歴史

Photo 本屋にひやかしに入ったら目についた一冊。12月21日に発行された新刊です。静岡県内のエピソードを縄文時代から時系列に戦後まで綴られています。面白くて、先日名古屋へ出かけた際、行き帰りで読み終わってしまいました。
 私のブログでも話題にした、梶原景時や小島藩についても、チョビット出ています。静岡県民必読書ですな。

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2012年12月17日 (月)

季刊清水45号

Img 先日、季刊清水45号が「編集委員会」から送られてきました。興津川の魅力を多角的にとらえて特集を組んでいます。それぞれの論文を興味深く読ませていただきました。
 実はこの特集を組む事を決め、ネットで色々調べている時に、私のブログがとても参考になった、とのことでお礼の意味で送っていただいたのです。
 色々な事をブログなどで書き散らしていると、中には人様の助けになるものもあるのですね。先日の中日新聞の件といい、ブログの力はなかなか侮れません。これからも書き続けましょう。

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2010年11月 3日 (水)

1999年1月 パソコン入門15 書籍紹介

  ・  「パソコンをどう使うか」  諏訪邦夫著  中央公論新書
  諏訪氏のパソコンに対する思想がよく分かり、それに共感できるので一気に読みました。各章も短く、文章も平易です。ただ、具体的な技術の記述が少し古いのです(パソコンは日進月歩ならぬ秒進分歩なので仕方がないですね)。
  それと、ベストセラーになった、

    ・  「超・整理法」  野口悠紀雄著  中央公論新書
  もパソコンの利用法について参考になりました。パソコン利用の参考にする以外でも、非常に「ため」になる本です。この本が勧める「押し出しファイリング法」(全述の文書整理方法と同じ)で私も現在紙の資料を整理しています。非常にうまく機能しており、会う人ごとにすすめています。
  野口氏の著書には他に「超・勉強法」や「パソコン超・使用術」(だったかな?)等数多くあり、それぞれによく売れています。どの本も非常に面白く、余裕があれば一読をすすめます。ただ、一冊目は「超・整理法」がよいでしょう(価格も安いですし・・・)。
  その他、中公新書からは

    ・  「文科系のパソコン技術」  中尾浩著
  も具体的なパソコン操作の記述が多く、読まれれば有益でしょう。特にウインドウズ95に対応して書かれています。
  中央公論社はパソコンに興味があるのか、「中公PC新書」を創刊していくつかの本を現在では出しています。それぞれに面白そうです(まだ三冊しか読んでいないのでよく分からないのですが・・)。
  とにかく、新書でこのような本が出るのは嬉しいですね。700~800円ぐらいで購入できるので懐も痛まず。

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2010年9月10日 (金)

1996年10月 読書感 壇 沢木耕太郎著

「壇」読後記
 私小説は残酷である。
 小説の多くが作家の体験やその他の事象をベースにしたり、参考にしたりして成り立っているが、私小説は100%それが基本である。
 作家は自分のことをどう書くであろうか。美化するだろうか、卑下するだろうか・・・いずれにしても書くのは「自分」である。どう書こうと自己責任だ。一番悲惨なのは作家以外の登場人物、「書かれる人」である。全ては作家の筆に価値を委ねているわけで、書かれてしまえばそれでおしまい。事実と違っていてもそれを正すのは容易ではない。「書かれる人」は圧倒的に無力なのである。
 沢木は「書かれる側」にこだわっている。彼は「市井の人はインタビューなど迷惑なものだ」と以前から考えている。彼がルポルタージュを書くとき必要なのは取材であり、インタビューである。かなり屈折した精神で取材を続けている彼に「壇ヨソ子」の存在はとても興味があったのだろう。「書かれる側」へのシンパシイーを強く感じていたのだろう。「ヨソ子」は書かれるだけである。作品はベストセラーになったが、「書かれた側」はどんな思いでいたのか・・・。
 作品は「膨大な取材を基にシーンを組み立てて、事実に近づいていく」という彼の手法がそのままとられている。しかし今までは短編が殆どだった。長編として発表されたものは「深夜特急」でも「一瞬の夏」でも主人公は沢木自身で、彼が状況の中へは入っていき、自分で体験したこと、見たことを書いていた。長編、「テロルの決算」は当時の社会党書記長を刺した「山口」を主人公にしてはいるが、事件そのものへのアプローチが大きな比重を占めていた。
 主人公は一人称で登場する。「ヨソ子」が語る形である。当然膨大な量のインタビューがその裏には存在する。彼が今までこだわっていた「書かれる側」の代表格(?)を対象として、自分の方法論の全てをつぎ込んだこの作品は沢木の一つの到達点であろう。
 僕自身は内容に一つの楽しみを持っていた。「火宅の人」を読んだ者として「どうしてヨソ子は離婚しなかったのか?」という疑問への回答である。しかし、読んでみてやはり「ワカンナイ」であった。環境も含めて、大正女性の性であろうか。現在なら、僕のカミさんなら、「事を起こした」と告げた瞬間に家を出ていくのは同じだろうが、「僕が悪かった。猛省します。」とかなんとか言って大騒ぎしなければ家に帰ってこないだろう(大騒ぎしても帰ってくるかな?)。少なくとも山の上ホテルで一緒に暮らしていれば、結論は「離婚」しかない。それ以外には考えられないはずだ。あみんの「私待つわ~」じゃあるまいし、どのような精神状況なのか。ン~ワカンナイ。

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2010年8月17日 (火)

読書感 「1Q84」 その2

 「1Q84」は現在、2冊目(Book2)を読み終えたところです。この作品は主たる登場人物の「青豆」と「天吾」の物語を章ごとに交互に語りながら展開していきます。
 さの2冊目の最後、青豆は1984年と1Q84年の交差点を確認に行き、それが徒労に終わり、首都高速道路で衆人の前で、ヘックラー&コッホというドイツ銃を自分の口に当てて引き金を引く部分で・・・・天吾はこの物語の大きなキーワードである「空気さなぎ」の実物を目の前にして、中をのぞくと10代の青豆を発見する、といったところで・・・終わっています。
 1000ページもつきあわされて、2冊目がこんな終わり方で、3冊目を読まない人がいたらお目に掛かりたいぐらいです。1000ページつきあってくれた読者への最大のサービスを感じ、村上春樹の策にはまっているな、と苦笑いで実感しながら、喜々としてして3冊目を手にする自分を発見します。こんな密度の作品ならBook10まであっても読むな、と思いながら。

Photo_3  写真は昨日の小国神社の参道を本殿に向かって歩いていく途中です。私が行ったのはお盆中でしたが、結構若い参拝者が多かったです。

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2010年8月16日 (月)

読書感 「1Q84」

 以前、電車通勤をしていた時に比べて現在では移動は100%自動車ですので、読む本の量が減りました。電車内での細切れの時間でしたが、読書には大いに貢献していたのですね。
 そんな読書量か落ちてきたある日、話題作である村上春樹の「1Q84」を友人が貸してくれました。何せ3巻全部で1500ページもある大作です。しかし、読んでいて頭の中で情景がリアルに浮かんでくる、村上独特の文体はそんなページ数をj全く感じさせません。読み始めるとやめられないのですな。彼は
何年もこもってこんな作品の構想を練っていたのですね。

 写真はPhoto_2袋井市にある小国神社。母の実家の近所です。以前に亡くなったおじいさんがここで世にも不思議な仕事をしていました。いずれ記事にしましょう。

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2009年11月 4日 (水)

書籍「輝く静岡の先人」

Image1723  静岡県が今開催している国民文化祭に合わせて発行したのがこの本、「輝く静岡の先人」。誰もが知っている徳川家康から、私も知らなかった静岡県に関わる先人たちまで、54人が分かりやすい文章で載っています。発表されたときに新聞で見て、「欲しいな」と思っていましたら、先日グランシップへ行った時に入手することができました。見開きで一人を取り上げ、関連する場所の紹介も合わせて、想像したとおり興味深く読ませていただきました。しかし、難を言うと載っている先人が「あいうえお順」で編集されているのです。生まれた年順に載っていれば、歴史もイメージしながら読めるのでは、と思った次第。県の政策文化室に投書しようかな。

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2009年9月16日 (水)

吉村昭 最後の本

Image1399  大好きだった作家吉村昭が物故して3年が経ちます。このほど絶筆となった作品も合わせて、「死顔」が文庫で発売されました。晩年の大作、「彰義隊」も今年初めに文庫化されていますので、これで吉村昭の作品は全て文庫になったのでしょう。ということは、これ以上吉村の新しい作品を読むことはできなくなったわけです。「人間は物理的な死と、本人を覚えている人が地球上にいなくなった時と、二度の死がある」と聞いたことがありますが、作家はその間に「生前に書いた作品が出きった時」という「死」があるのですね。

 これからは絶版となった作品を求めて古本屋巡りにいそしむこととなります。吉村の年表を見るとまだ読んでいない短編がかなりあります。私も生きている間に全て読むことができるでしょうか。

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