レクイエム(鎮魂歌)

2018年8月29日 (水)

レクイエム さくらももこ さま

B222  ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんが亡くなりました。まだお若いのに。
 私は昭和の終わりころ清水市民になりましたが、さららももこさんも清水支市出身。私より少し若いのですが、清水に来たら「さくらももこの高校の時の先輩」等と言う友人も多くいました。
 私もちびまる子ちゃんが好きで、静岡市内でちびまる子ちゃんを見かけると写真を撮りアルバムにしています。
 「まるちゃんの静岡音頭」」をさくらももこさんは作詞しましたが、作曲は細野晴臣氏。歌はピエール瀧氏。振り付けはパパイヤ鈴木氏。なんと豪華な。出来た時、詞を見て「これは清水音頭」だわな、と苦笑したものです。近々、ちびまる子のマンホール蓋の登場することになっていたのに。
 本当にご冥福をお祈りいたします。合掌。。。

↓ 静岡市で出会えるちびまる子ちゃん ↓
http://momotarou-k.cocolog-nifty.com/photos/chibimaruko/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

レクイエム 石垣喜雄 さま

180112  山仕事でご一緒していた、石垣喜雄さんが滑落事故でなくなりました。年齢は73才と少し高齢に見えますが、安全を第一に、でも身軽に山仕事をしていた仲間です。地域の音楽バンドではボーカルを担当していて、私は後ろでドラムを叩いていましたが、喜雄さんの美声には演奏をしながら、聞き惚れていたものです。

 今回の事故の詳細を関係者から色々聞きますと、作業中ではなく、休憩時間の事故だったとの事。いずれにしても信じられない事です。仕事は堅くこなしなから、休憩時間には冗談で皆を笑わせ、山仕事でもムードメーカーだった石垣さんの死は信じられません。同じ現場にしたら、寒い今の季節、私も一緒に日なたに行っていたと想像できるだけに、ショックです。正月早々惜しい方をなくしてしまいました。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月18日 (水)

弔辞 三上英治 さま

 三上英治さん、河内大島にいらして、もう十年以上経ちますね。
 私も河内大島に来て約二十年。外から来た、という同じような背景があるせいか、酒飲みはお互いに匂いがするのか、程なく一緒に酒を飲むようになりました。私は二十代半ばから二十年以上ウヰスキーは飲みませんでしたが、三上さんと飲むようになって、ウヰスキーが私の飲酒リストに入るようになりました。
 一緒に酒を飲めば、ツーリングの話しやJR線全走破の話しでいつも盛り上がりました。三上さんは、プライベイトでも今で言う「リア充」な生活でしたね。私の生活もリア充については引けをとりませんが、三上さんの生活は本当に誰からも充実して見えていたでしょう。昨年度でお仕事の全てを終了し、今年度からは静岡県立大学で新しい学びの計画も入り、一層やりたいことを極められる時期でしたので、ご逝去はご遺族の方々の悲嘆もさることながら、ご本人が一番残念に思われていることでしょう。私も今年度から静岡県立大学で「しずおか学」の一コマの授業を新たに受け持ちます。是非、三上さんにも聴講していただき、それもネタにして美味い酒を飲みたい、と思っていましたので本当に残念です。
 でも、探求熱心な三上さんのことですから、天国での快適な過ごし方などを追求し始めるのでしょう。私たちが後日行った時に色々と教えてくれることでしょう。合わせて、天国での美味い酒を探すことでしょう。彼の地で一緒に飲める時を楽しみにしています。それまで少しの間、さようなら。
       平成二十八年五月十八日
                  加藤伸一郎

120609  写真は在りし日の三上さん(左側)。庭にバーベキュー窯を作ったので完成を祝って飲んだ時のショット。右は窯の石積みをした棟梁。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レクイエム 三上英治 さま

160517  飲み仲間の三上英治さんが亡くなりました。享年69才。先月、最後に一緒に飲んだ時も酒は飲みましたが、食べ物はあまり喉を通らない様子でした。
 その後お会いした時、「食欲がないもんで、来週精密検査に行く」と言っていましたが、検査の結果は、即入院。一週間の内に、体調が急激に下がって本当にあっという間の訃報でした。
 今日の葬儀では弔辞を読ませていただきました。弔辞は次の記事で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 8日 (日)

レクイエム 富田勲氏

 5月5日、音楽家の富田勲氏が亡くなりました。ご存じ、モーグ・シンセサイザーの第一人者です。アルバム「月の光」は私が高校に入ってすぐの頃、友人が購入したのを借りて聞き、えらくショックを受けました。当時、「モーグ・シンセサイザーは富田勲とEL&Pの(先日亡くなった)キース・エマーソン、そしてNHKと3台しかない」等と言われていました。
 私が20代前半の頃、新潟県の長岡花火大会で富田勲が、「サウンド・クラウド」の公演をし、私も初めて聞きに行きました
(バイオリニストの千住真理子も演奏していた)。当時発売されたばかりの曲、ホルストの「惑星」を演奏したのです。橋の上には和太鼓の集団、河原に設置された複数のスピーカーやヘリコプターで吊ったスピーカーから「惑星」が流れ、あの有名なロケットを発射する瞬間には十尺玉だったか、当時最大の花火が打ち上がり、大興奮ものでした。
 友人が富田の控え室に行き、写真を撮ったのを後日見せてもらったりもしました。警備なんぞも随分と牧歌的だったのですねぇ。

 私の音楽遍歴の一部を彩ってくれたミュージシャンがまた一人鬼籍に入られました。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月14日 (月)

レクイエム キースエマーソン

 EL&P「エマーソン、レイクアンドパーマー」のキーボーダー(ピアニスト)、キースエマーソンが亡くなりました。自殺だったようです。
 EL&Pの登場はとても衝撃的でした。私が10代半ばの頃NHKで「展覧会の絵」の演奏を見たのが初めてで、一発でハマってしまいました。その後、EL&Pのレコードを集め続け、プログレッシブロックが大好きになるきっかけがEL&P、その中のキースエマーソンだったのです。
 EL&P自体はフルオーケストラと大規模なツアーを行い、ものすごい観客動員数を見るのですが、それ以上に経費がかかり、興行的には失敗。そんなこんなで解散してしまいます。その後ちらほらとニュースは耳にしていましたが、キースが自殺してしまうとは。
 10代半ばでロックを聴き始めた頃に私が好きだったキーボーダーはジョンロード、キースエマーソン、と亡くなってしまいました。あとはリックウエイクマンのみ。
 今夜は久しぶりに「展覧会の絵」をユーチューブで見ました。40年以上前に見たコンテンツ(当時は白黒テレビだった)を今自由に見られる、とは何ともよい世の中になったものです。しかし、今見てもかっこいいなぁ。。。。合掌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月23日 (日)

アンクルトリス作者死去

Photo  トリスウイスキーのマスコット「アンクルトリス」の作者柳原良平氏が亡くなりました。トリスウイスキーのコマーシャルで、ウイスキーを飲むと顔の色が下から変わる、おしゃれなアニメが印象深いです。
 私がガキの頃、その顔色が変わるのは黒っぽく変わっていったのですが、カラーテレビで初めて見た時、それが黒でなく赤だった、と初めと知ったりました。
 昭和の代表的キャラクターの作者がまた一人亡くなりました。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年4月22日 (水)

レクイエム 落合義彦 さま

050422  私が今の地域で生活しはじめて、色々お世話になった、オジサンがまた一人鬼籍に入られました。
 落合義彦さん、74才では亡くなるのはまだ早いわな。一緒に山仕事をして、終わるとよくビールを共に飲みました。そんな時、昔の台風被害の話しなど、よくしてくれました。昔のことをかなりディテール細かく覚えているのです。「やー、かとーくん、キミの知りたいことは、よーくわかるんて、今度オレが書いておくから、オレにまかしょー」と言っていましたが、そんな話しを聞く前に逝ってしまいましたね。もっと色々お話を聞きたかったです。今夜は通夜で、終わってから、あなたを偲びながら、飲みました。合掌。

 1997年4月に書いた日記で「水葬」の話しをしていたのは彼です。
http://momotarou-k.cocolog-nifty.com/yukicyan/2010/09/1997-3586.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年9月15日 (月)

レクイエム 坂井義則 さん

 1964年の東京オリンピック。その時、聖火の最終ランナーを務めた坂井義則さんが他界されました。

 彼の名前、私は何百回聞いたことか。それは、オリンピックが終わった後、NHKで開会式のソノシートを出していたのです。国立競技場で日本選手団が入場する写真が印刷されたソノシートでした。「参加94か国・・」から始まるアナウンサーの実況中継の録音を小学校低学年だった私は飽きもせず毎日プレーヤーに乗せて聞いていました。「見えた、見えました、白い煙、聖火の入場です」と、トラックに聖火が入ってから、聖火台を駆け上る時の、「日本の若さ、日本の将来を象徴するような、19歳の青年が・・・」、点火の際の「昭和391010日午後3時、930秒・・・」とのアナウンス内容まで、しっかり記憶に残っています。

 聖火、といえば、当時私が住んでいた、神奈川県藤沢市の家の前に通っていた国道1号線に聖火が走ったのをも覚えています。江ノ島で見たオリンピックのヨット競技の様子と共に私の一番古い記憶の一つです。

 広島原爆投下の日に広島県内で生まれたのが縁で最終ランナーに選ばれた、と聞きましたが、享年70歳。短命だった感じです。ご冥福をお祈りします。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月30日 (水)

レクイエム 松岡直也 さま

 ラテンフュージョンの第一人者、松岡直也氏が亡くなりました。
 一番最初に聞いたのは、忘れもしない、1979年。彼が結成したバンド、ウィシングの初アルバム「THE WIND WHISPERS」でした。当時は「フュージョン」なんて言葉はなくて、ジャズの音楽家が電気楽器を主流にした演奏のカテゴリーを「クロスオーバー」と呼んでいましたが、このアルバムの一曲目を聞いたとたん、「こりゃ、ロックだ」と思いました。曲の途中でエレキギターの掛け合いがあるのですが、弾いていたには高中正義と大村憲司。今じゃ大御所ですが、彼らが弾いていれば、そりゃ音もフレーズもロックですわ。その他、全曲がとても心地よく、いっぺんにファンとなりました。
 その後も聞き続け、二十数枚の松岡直也アルバムが私のコレクションに入っています。バラード調からアップテンポの曲まで、色々なラテンリズムに乗せて心地よく、特に運転する時のBGMとしては最高です。
 私も死ぬまで、聞き続けるアーティストの一人です。ご冥福をお祈りいたします。「9月の風」を聴きながら合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧