レクイエム(鎮魂歌)

2009年11月 5日 (木)

レクイエム レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss)氏

 構造主義「四銃士」の一人です。私が小学生だった時、先生が「みんなとアフリカの土人(不適切な言葉ですがそのまま記します)とどっちがいい生活かな?」みたいな話しをされたことがありました。「土人にはテレビも車もなくて劣っているように見えるけど、社会は日本とアフリカと、どっちが進んでいる、劣っている、とは言えないんだよ。同じなんだよ」と言われ、僕らガキどもは「フ~ン」と聞いていたものです。長じてレヴィ=ストロースの思想を知り、「あの時先生が話していたのはこれだったのか!!」と合点がいった次第。その後サルトルとの論争なども知り、実存主義を終わらせたやりとりなどを興味深く読んだものです。もし、同時代にいたならもっとスリリングにライブで論争を楽しめたのかな。
 そんなレヴィ=ストロースも年齢には勝てず101才の誕生日の直前に亡くなりました。合掌。

 以前、ちょこっと記事で紹介した、「寝ながら学べる構造主義」にもレヴィ=ストロースについてわかりやすく書かれています。興味のある方は是非ご一読くだされ。
 また、この本の著者、内田樹のブログにレヴィ=ストロースの追悼文が載っていました。これがまた楽しめるので、よろしかったらご覧あれ。

 内田樹の研究室「追悼レヴィ=ストロース」

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2009年11月 2日 (月)

レクイエム 望月吉治 さま

Image1720  私が今の両河内に住み始めた二十数年前からとてもお世話になった方です。最初に私が借りて住んだ廃屋の隣に彼の茶工場があり、お茶刈りにも何度となく応援に行きました。我が家が家火になった際も、その後の住処を紹介してくれて、今の所に住み続けることになったのも、彼のお陰に寄るところ「大」でした。
 いつだったか、一番茶の収穫時期に遅霜の予報がでた時、「翌朝に霜が降りて葉っぱがダメになるなら夜の間に刈っちゃえ」、と夜中にキャップライトをつけてお茶を刈ったのも、最初で最後の経験でした。がむしゃらに働き、言葉も飾り気はなく、典型的な「農家のオヤジ」。70才を過ぎて、仕事の一線は息子に譲ずり、時々会うと、少し小さくなった感じはありましたが、生涯、現役で働き続けて、突然逝かれました。ご苦労様でした。合掌。

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2009年10月 1日 (木)

レクイエム 十河千恵 さま

 香川県にいる私の活動仲間でしたがガンで他界されました。9月26日に訃報を受け取り、私と同じ歳と知りました。香川県へは講演を頼まれたり、会議に参加したりで数回訪れましたが、その都度穴場のうどん屋に連れて行ってもらったり、夜の交流会をセットしていただいたり、お世話になりっぱなしでした。

 いつだったか、帰り際に高松駅の本屋で「恐るべきさぬきうどん(新潮OH!文庫、現在は新潮文庫で販売されている)」、という文庫本を紹介されました。それなりの厚さがあり、パラパラめくって見たら、うどん屋の地図などが載っています。「香川県や高松市の地理も知らないのでうどん屋紹介の本を買ってもあまり意味がないな」と正直感じたのですが、彼女が強く勧めてくれるので購入しました。電車に乗り込み、改めて読んでみると、これが全然見込み違い。著者のうどんのうんちくの深さたるやすごいものがあり、それをわかりやすく、引きつける文章で綴っています。岡山駅に着く頃には夢中になっていて、新幹線の中で静岡Image1541まで一心不乱で読み続けました。仕事ではなく、みんなでまた讃岐うどんツアーに行きたかったですよ。早すぎるご逝去に合掌。

 写真はパルちゃんとの散歩道沿いの風景です。

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2009年8月27日 (木)

レクイエム 金大中氏

 先日、フィリピンのコラソンアキノ女氏のレクイエムをあげたところでしたが、先日は韓国の金大中氏が亡くなりました。金大中氏は言わずとしれた韓国民主化の立役者。何度暗殺されかかったか。死刑判決まで受けて後、大統領になるその人生はまさに激動です。

 私自身は、金大中氏拉致事件の時にはまだ子どもで、隣の国では日本までやってきてスパイ映画のような事をするんだな。ぐらいしか思っていませんでしたが、金大中氏の逮捕をきっかけとして起きた、光州事件は強く印象に残っています。当時の韓国は厳しい報道管制が敷かれて、少しずつしか情報が入ってきませんでしたが、私と同年代の人々が軍の車両で連行されていく写真はショッキングでした。彼らには拷問が待っていたのでしょうか。今はどうしているのでしょう。事件の犠牲者数について、現在でも運動側と当局の発表に大きなばらつきがあるようで、この事件は過去のものではありません。韓国民主化に大きく貢献した金大中氏に合掌。

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2009年8月26日 (水)

レクイエム レス・ポール氏

Image1232  ギタリストのレス・ポール氏が8月13日に亡くなりました。現在のエレキギターの中で代表的モデルとなっている「レスポール」生みの親です。20世紀の楽器はギターである、と私は思っています。20世紀が始まった頃、ギターは音も小さく、バンドの中でそんなに大きな位置は占めていなかったのですが、エレキギターの登場で一躍スター楽器となった経過が20世紀です。レスポールも1950年代初めに作られ、エリック・クラプトンやジミー・ペィジがレスポールモデルを世界的なギターとしてきました。蛇足ですが、ジミーペィジは「レスポールは腰で弾くもの」とのイメージも世界に与えました。

 写真を撮らせてもらったギタリストの知人は「ムード歌謡はレスポールでないと」、「先ず形から入らないとね、本当はストラドキャスターやテレキャスターに比べると弾きにくいんだけど」、と言っていましたが、ブルースがかった音楽ジャンルや日本のムード歌謡はやはり、レスポールのイメージです。

 しかし、正直言いまして、レス・ポールさんはもっと過去の方とのイメージがありました。ラジオで死亡ニュースを聞きまして、少々驚きました。「死んでもギターを残す」ですね。合掌。

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2009年8月13日 (木)

レクイエム コラソンアキノ女史

 8月1日にフィリピンのコラソンアキノ女史が亡くなりました。1980年頃、私が通っていた学校がフィリピンのアテネオ大学と姉妹校だった関係で、私もフィリピンを訪れていました。当時、アジアでは韓国やフィリピンで独裁制があり、韓国では金大中氏が東京で拉致されたり、光州で流血のデモ事件が起こったりかなりメチャメチャなことが日本の近隣でありました。

 私らは友人達と「金大中も逮捕されながら自国で政治活動を続けているのでニノイ(コラソンアキノの夫)もフィリピンに帰り政治活動を続けるのがスジではないか」、等と青くさい論議をしていたものです。そしてニノイは帰国。マニラの空港で自国の土を踏む前にタラップの上で兵士に銃殺されました。そして、殺されることも覚悟の上での帰国だったことを知り、私の青臭い観念論は吹っ飛びました。

 その後、ニノイの夫人だったコラソンアキノ(コリー)が大統領となり、それからも、まぁ実に色々なことがコリーやフィリピンに起こり、私の興味を引きつけたまま時が過ぎてきました。20代の多感な時期から、私にとって色々考えさせてくれた方でした。合掌

 昨日、今回の地震で死者がいなかった、と書きましたが、その後のニュースで静岡市駿河区の40代の女性が崩れてきた本に埋まって窒息死されたそうです。合掌

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2008年12月28日 (日)

レクイエム 林一夫 さま

 私の実家で一番お世話になった方が100才でご逝去されました。私も10才ぐらいの時からその方のことをはっきりと覚えていますので、もう40年になりますね。私が静岡に来てからも、年賀状だけは欠かさずやりとりをしていて、「いくつになられたのかなぁ」とカミさんとも正月になると話題になっていました。氏は東京大学を出られて、戦前から公安の仕事を長くなさっていました。終戦の時には、ある県の県警幹部で、戦後の公職追放の時の話しなどもうかがったこともありました。それはそれは、氏の人生は色々な出来事があったことでしょう。でも私にとっては最初の記憶の時から、第一線を引いた「穏やかな隠居のおじいさま」でした。今度、実家に帰りましたら、お焼香に出かけImage075_2ることとしましょう。合掌。 

 写真は静岡市葵区の青葉公園。夜の9時頃通ったら寒い中、人はわらわらいるし車は渋滞。年の瀬も一見平和な風景です。

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2008年12月 9日 (火)

レクイエム ジョン・レノン

 12月8日は太平洋戦争が始まった日でもあり、ビートルズーのメンバーであったジョン・レノン氏が銃殺された日でもありました。後者は1980年ですから、もう30年近く前になるのですね。

 1980年は私にとって「ビートルズ」と関わりのある年でした。無論、80年にグループとしてのビートルズはいませんが、メンバーのポール・マッカートニーが彼のバンド、「ウイングス」と共に1月に来日公演をする予定になっていました。私は武道館公演のチケットを79年の末に買い、正月はウイングスのLPを聞きながら、公演モードに入り、コンサートの日(確か私が買ったのは1月23日頃だっような)を楽しみにしていました。しかし、成田に降りた彼は大麻不法所持で逮捕され、公演スケジュールは全てパーに。そんな失意で開けた1980年でしたが、その年を締めくくる12月には、ジョンの暗殺。私にとって忘れられない一年でした。Image114_3  

 写真は新静岡センターの中庭(?)でのコンサート風景。これで取り壊しになるせいか、市内の学校などのコンサートが毎週末組まれています。ビートルズの曲は・・・今では完璧なスタンダードナンバーですね♪♪♪

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2008年11月21日 (金)

レクイエム おでん屋のおじいさん

Image024  時々話題にしています、河内地区の駄菓子屋、「岩久商店」。我が地域では「おでん屋」とか「まんじゅう屋」と言った方がとおりがよいのですが、そこのじぃさんが亡くなりました。享年82才。

 昔、自動車が通らない頃に、まんじゅうを作っては両河内各地の駄菓子屋へ自転車で配達した話しなどをよくしてくれました。聞きながら想像して、牧歌的な情景に浸ったものです。じぃさん、最後は身体も悪くなって、病院や老人施設などへ入退院を繰り返していました。お通夜で拝見した最後の姿は、ずいぶん体重も落ちた感じでした。人生、ご苦労様でした。合掌。

 今朝は庭のバケツのお水に初氷が張りました。寒いわけじゃ♪

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2008年9月10日 (水)

レクイエム 杉山善一 さま

Image01100  隣組で色々お世話になった杉山善一さんがお亡くなりになりました。72才(満年齢で71才)では、まだ少し早い鬼籍入りです。私が自治会の役を担った際にも多々アドバイスをいただき、これからも色々と教えてもらおうと期待していましたので、その意味でも残念でした。他界されたImage00700夜にご自宅へ挨拶へいきましたところ、 玄関前やアプローチに「月下美人」がいくつも咲いていました。色々な草花や生きものを丹精込めて育てることが好きでした氏の作品です。強い香りを発して、一夜限り開花することで有名な花ですが、この夜は心なしか寂しげに見えました。合掌。

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